前回投稿より1週間。その後も少年隊研究は続いております。
ついに、限定受注生産だったという35周年記念ボックスを手に入れました。なんといっても欲しかったのがコンサートの映像のDVD.
1985年デビューの少年隊だからVHSビデオの販売しかないと思っていたので、これを見つけたときは迷わず(実はちょっと迷ったけれど)手に入れることにした。そしてまず最初に1990年のスプリングコンサートをみて、その次にデビュー前のプロモーションビデオ的なものを2枚見た。disc 9 → disc 6 → disc 7 という順番。
そしていろいろ思うところがあった。
今回私が少年隊のファンになった時、私の知っている少年隊のイメージは、看板メンバーはヒガシかな?だった。ただ、リーダーはニッキだと知っていた。90年代初めころ、時々テレビで見る少年隊のニッキはすでに中年の雰囲気をまとっていたけれど、パフォーマンスが始まると存在感というか、立ち姿が立派でオーラがあり、さすがリーダーだなと思っていた記憶がある。でも、少年隊というのは東山がいるグループだよね、という認識。
「仮面舞踏会」や「まいったね、今夜」を見て、ニッキファンになった私は、その後様々な動画を見まくり、いろんな媒体を通じて、実は結成時期から少年隊をけん引していたのはニッキだったと知ることになる。ダンスが抜群にうまく、歌もアイドルにしてはうまく、カメラを意識したパフォーマンスにも余裕があって、まさにリーダーの風格。曲や舞台の制作過程にも深くかかわっていたようだ。言ってみれば、少年隊というのは、ニッキをデビューさせるためのグループだったといえるかもしれないくらいだったとわかった。BTSのRMのように。そうだったんだね、失礼しましたという気持ち。少年隊がバリバリのアイドルをやっていたころは、私は20代後半で、仕事や私生活が忙しく、テレビをあまり見ていなかったんだなあ。
3人グループというのは、誰がセンターかというのがやはりかなり気になるところなのだけれど、その点において少年隊はとても独特のグループだ、ということもわかってきた。
デビュー前の映像を見ると、かっちゃんがセンターのことも多い。どこかで読んだのだけれど、作曲家の先生がかっちゃんの甘い声、アイドルど真ん中の声を気に入ってセンターに指名したのだとか。なるほど~~。デビュー後の名曲「君だけに」も歌いだし、センターがかっちゃんだもの。 デビュー前後からセンターはニッキになる。ニッキの激しいダンスを二人がサポートするシーンもある。
では、いつも決まってニッキがセンターかと思いきや、そこが少年隊というグループの面白いところで、歌によって、あるいは歌の途中でも、しょっちゅうセンターが入れ替わる。また、ソロで歌う分量もほぼ3分の一ずつで、誰かがよりたくさん歌うということがあまりない。これはとても珍しいことではないか。キャンディーズなんかは、いつも蘭ちゃんがセンターだった。デビュー時はスーちゃんだったらしいが。
最初の3,4年は、ニッキがセンターの場面が多い少年隊だった、が徐々に、センターがヒガシの場面が多くなってくる。シングル曲でいうと、5曲目のStripe Blue は歌いだしのセンターががヒガシで、途中ヒガシの美しいバク転がフィーチャーされる。ニッキとかっちゃんはサポート側という印象。ニッキファンの私は、もっとニッキをセンターに、もっとニッキを目立たせてほしい、なんて思いながら映像を見ていた。心が狭いですね。 しかし、少年隊に詳しくなればなるほど、だんだんとリーダーのニッキ自身も少年隊というグループを考えたときに、そうするべきだと思っていたのではないか、と思うようになってきた。サポートポジションに回っている時のニッキもいつも笑顔で楽しそうに歌って踊っているのだ。
ニッキは悔しくなかったのかなあ、なんて、最初思ったりもしていたのだが、10代のころの彼らの映像を見て、なるほど~、だから、長く続いたグループんなんだなとひざを打った。すごくいいバランスなんだと思う。アメリカに連れて行ってもらってはしゃぐ映像を見ていると、なんでも大胆に率先してやっているのがヒガシや、かっちゃん。ニッキは、それほど、おれがおれがと出て行ってない。私は実は、「兄弟性格論」が好きなのだけれど、ヒガシとかっちゃんは妹がいるお兄ちゃん。ニッキはお姉さんがいる弟。しかも、ニッキは少年野球の時にキャッチャーをやっていたらしい。キャッチャーする子っていうのは、目立ちたがり屋じゃない。他人を立てるタイプなのよ。私のいとこのお兄ちゃんにずっと野球をやっていた人がいて、高校野球も頑張っていたのだけれど、監督からキャッチャーをやれと言われて野球をやめてしまった。それを聞いた私は、わかるかも、、、と思ったことを鮮明に覚えているもの。はい、私は長女体質です。
ニッキは多分すごく負けず嫌いで努力家だったと思うけれど、目立ちたがり屋ではなかった気がする。今、演出の仕事を好んでやっているのは、そういう志向の表れでもあって、彼はいつも全体を俯瞰して、どういう絵が一番お客さんに受けるか、どうやったら一番そのグループが輝けるかを考えていた人なんだと思う。
5年目あたりから、見栄えがかっこよくて人気も高いヒガシをうまく少年隊の顔にしようとしていた気がするな。5年目の1990年のコンサートは、スタートがヒガシセンター。最後にメンバーを紹介するときも、かっちゃん、バンドと紹介して、最後に、「最高にかっこいい東山紀之!」なんて紹介したときは、なんて大人なの、あなたは!と思い、涙ぐみそうになったんだもの。
でも、アンコールをどうするかのカーテン裏でのやり取りは、もちろんニッキが仕切っていて、かっこいいリーダーでした。
デビュー2年目に当たる1987年の武道館コンサートはニッキセンターからスタートしてるんだなあ。きっと、いろいろ構成を考えていたんだろうなあ、少年隊は。大きなけんかもなく、35年も続いたなんてすごいことだと思う。
少年隊の、3人がそれぞれソロを取るときに、残りの二人が全力のダンスでサポートするそのスタイルが大好きで、3人の個性がかみ合った、最高のグループだと思う。