2010年 02月 24日 ( 1 )   

冬季オリンピック 「虹と雪のバラード」   

バンクーバーオリンピックもいよいよ後半に入りました。
我が家でも連日話題になっております。小5の次女のクラスでは男子が「高橋!」と言いながらジャンプをしていたらしいし、長女の高校では休み時間にワンセグでカーリングを見ている生徒が多かったらしい。もしかしたら子どもたち(長女と次女だけだが)が大人になっても覚えている最初の冬季オリンピックがバンクーバーオリンピックになるかもしれないな、とふと思いました。受験を終えた長男はオリンピックには見向きもせずにひたすらゲームをやっとりますが。

明日からは、いよいよハイライトの女子フィギュア。日本の女子フィギュアは本当に強くなりましたねえ。私が子どもの頃の女子フィギュア選手は、必ずと言っていいほどこけていました。フィギュアはこけるもん、と思っていたほどです。伊藤みどり選手が登場したときには、日本人でもこんなに力強く滑れるんだと感動しました。今テレビで、知的で落ち着いたすばらしい解説をしておられる、「ジュンジュン」こと八木沼純子さんは、かわいかったですね~。でも、え?ほんとに飛んでるの?というくらい、ジャンプが低かったですね~。でもかわいかった!

さて、フィギュアスケートには少々力が入っていしまう私ですが、実は子どものころに習っていたのです。あれは確か小4の冬だったと思うのです。お友達のヤノさんとソノダさんと一緒に、大阪の淀川沿いにあった「ラサ・スケートリンク」というところに通っていました。どういういきさつでその3人だったのか全然覚えていないのですが、私の父が付き添いで一緒に行っていました。阪神電車で30分ほどのところで、最後に淀川を渡るのですが、電車が淀川を渡る間息を止めていられるかどうかを三人で競争していたことを覚えています。20秒くらいあったと思うのでかなり苦しかった!! ラサ・スケートリンクは今ではなくなってしまいましたが、四角のフィギュア用のスケートリンクの周りにスピードスケート用の周回リンクもある巨大なスケートリンクでした。レッスンは一般のお客さんの入場する前に行われるので、いつもまっさらの氷の上を滑ることができ、とても気持ちよかったことを覚えています。大人になって近所のスケートリンクに行ったときに、あまりにも氷がでこぼこでびっくりしました。あの新しい氷を滑るなんて経験、あのときにしか出来なかったんだなあ、と今になって思います。

レッスンは、最初まっすぐ前に滑ることを習い、次に足を交差させてカーブを曲がる練習。そして次にバックの練習になります。最初に右足と左足に同時に力を入れ、ひょうたんのような模様を描く「ひょうたんバック」を練習し、次に右足と左足に交互に力を入れる「スネークバック」。そのまま足を交差させて「バッククロス」をマスターするとバックでカーブを滑ることができるようになるのですが、私はここでやめてしまったので、未だにバッククロスはできません。順調ならそのあとスピンやジャンプを習うはずだったのだと思われます。こういった滑りと同時に当事のフィギュアスケーターが必ずこなさなければならなかった「規定(コンパルソリー)」の練習もありました。最初にアウトサイドエッジで半円を描く練習。次に円を描く練習。最初のけりが弱くて円になる途中で止まってしまったことを覚えているなあ。そうそうテストもあったのですよ。テストにパスすると次のレベルに進めるシステムでした。アウトサイドサークル〈確かそう呼んでいた)の次はインサイド。インサイドのほうが難しいのです。結構地道な練習で、私はよくサボって外の周回コースに逃げて勝手に滑って遊んでいました。

思い出の中に強烈に残っているのが、貸しスケート靴コーナーの壁に貼られていたジャネット・リンのポスター。確か、赤い衣装だった気がするのですよね。でも、ちょっと不思議なのが、ジャネット・リンがその衣装を着ていたのは1972年の札幌オリンピック。1972年というと私は小5のはずだからどうも計算が合わない。じゃあ、スケートを習いに行っていたのが小5だったのかな。でも、小5の1月から中学受験のための塾に通い始めた(南甲塾という名前だった)からそんなはずはないよな、といろいろ考えると眠れなくなりそう~。

地道なスケートの練習は私の性に合わず、すぐにやめてしまったのですが、付き添っていた父はスケートの魅力にはまりマイシューズまで買ってしまいました。その後も二人でよくスケートに行きましたが、ホッケー用の靴を履いて豪快に滑る男性が多かった中、腰の上で手を組み優雅に滑る(滑ろうとする)父がちょっぴり恥ずかしかった。最近はスケートそのものが廃れてきているのかスケートリンクも少ないし、ホッケー靴を履いて縦横無尽に滑り回る人もいなくなった気がします。

というわけで、大人になった私にとって一番印象に残っている最初の冬季オリンピックは、やはり札幌オリンピックです。ジャンプの「日の丸飛行隊」というのもありましたね。ジャンプなんて競技、そのとき初めてテレビで観た気がします。そして、札幌オリンピックといえばやはりこの曲が懐かしいですね~。北海道出身の夫の知り合いは、この曲を聴くだけで自然と涙が出てくる、と言っていたそうです。
大倉山シャンテと「虹と雪のバラード」  よくこんなとこを滑って飛べるなあ~~。

by oakpark | 2010-02-24 01:00 | 思い出の曲 | Comments(8)