キャンドルヴィジル、グレースランド、サンスタジオ   

メンフィスへのたびのもう一つの大きな目的はキャンドルヴィジルに参加すること。

キャンドルヴィジルとは8月15日の晩から、エルヴィスの命日である16日にかけて、キャンドルに火をともし故人を偲ぶ行事。列を成してグレースランドの敷地内に入り、エルヴィスのお墓まで行く人々と、ミュージックゲイト〈グレースランドの門)の前あたりで、地面に座り、キャンドルをともしながら静かに時を過ごす人たちがいる。 グレースランド前の道路、「エルヴィス・プレスリー・ブルバード」と名づけられた道路は封鎖されていて車の通行ができないようになっていた。

私は、8時半ごろ列に加わった。すでにものすごい人出だった。夜になって少し涼しくなっていたとはいえ、昼間は40度近くまで温度が上がる灼熱のメンフィスに10万人近い人が集まっている。いろんな言語が聞こえる。世界中からこの日のためにエルヴィスのファンが集まってきていた。グレースランドの壁に設置されたスピーカーからは大音響でエルヴィスの歌が流れていた。ゴスペル、バラードを中心に、50年代、60年代、70年代の曲がまんべんなく流れている。一晩中流しても同じ曲が出てこないのがエルヴィスのすごさだ。私の大好きな、やさしい、温かい歌声が天から降ってきているようにずっと流れていてなんとも幸せな気分になった。

遅々として進まない列。若い人も多いが、60代、70代とおぼしき人たちもみんな辛抱強く並んでいる。途中で、トイレに行ったり、ジュースを買いに行ったりしながら列に並び続けた。不思議なことに何かを食べながら並んでいる人はひとりもいなかった。どこででも歩きながら飲み食いしちゃうアメリカ人が。やはり、これは、神聖な儀式なのだ。

ミュージックゲイトをくぐると、渡されたろうそくに点火。そこからは誰もが無口になって厳かに進んでいく。やっとエルヴィスのお墓の前に到着。と思うと後ろにいた係りの人が「止まらないで進んでください、後ろに長い列がありますから」という。心のなかで「来ましたよ。ありがとう。やすらかに」とつぶやき前に進み続けた。丁度そのときは、50年代のバラード「どっちみち俺もの」が流れていた。 70年代のバラード「心の痛手」を聴きながら、ミュージックゲイトを出たときは、16日朝の4時半だった。なんと、8時間も並んだことになる。 その後、疲労感と達成感が入り混じった気持ちでタクシー乗り場に行った。


そして、もちろん、今年もグレースランドツアーと、サンスタジオツアーにも参加した。エルヴィスの住んだ家の中を見て、エルヴィスが実際身につけた洋服を見て、やはり、「ありがとう」と心の中でつぶやいていた。大好きな、「明日への願い」を歌ったときに着ていた白いスーツの前ではじっくり時間をかけて見入っていた。 サンスタジオでは、エルヴィスが「ザッツ・オールライト」を歌ったというマイクを今年もなでてきた。エルヴィスが、初めてのサンスタジオでのセッションで、休憩時間にふざけて歌ったこの曲がスタジオオーナーのサム・フィリップスの心をつかみ、レコードになったという。そしてこの曲を足がかりにエルヴィスはスターへの階段を駆け上がっていったのだ。去年も行ったけれど、サンスタジオは大好きな場所。トラック運転手だったエルヴィスが、おどおどと入ってきて「レコードを作りたいのですが」と言っただろうその小さな部屋がそのまま保存されていて、当時の情景が目に浮かびそう。今年は、バリバリ南部なまりの元気なお姉さんが案内役でした。

写真は、ヴィジルの列と、エルヴィスのお墓、お姉さんとマイクです。
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by oakpark | 2007-08-22 01:14 | ELVIS

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