私と『華麗なるギャツビー』②   

前々回の日記の続きです。

そういうわけで、ロバート・レッドフォード版『華麗なるギャツビー』を2度目に観た時に、やっといろいろ感じることができました。夢を追う男の執念と無念、世の中のいかんともしがたい格差、普遍的なものと流動的なもの、明日への希望、などなど。うまくはまとまらないけれど、いろんな要素が含まれているお話しだと感じました。

小説の最後の部分が印象的。
 So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.
 こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運びされれながらも、流れに逆らう船のように、力の限りこぎ進んでいく(野崎孝訳)
  だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へ通し戻されながらも。(村上春樹訳)

う~ん、興味深い。 野崎孝訳のほうが、逆流を必死に前に進んでいる感じ。過去へ戻される力のほうが強い(「過去へ、過去へ」と繰り返しているから)。村上春樹訳のほうが、前への推進力が強い感じです。

過去は美しいけれど、人は未来に向かう。あるいは、つらい過去を切り捨てたいがために未来に向かう。過去と未来で、どう折り合いを付けていくかって、普遍的なテーマですよね。

有名な映画のエンディングが思い出されます。
「明日には明日の風が吹く」 Tomorrow is another day. と力強く自分を鼓舞しようとした、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ。 過去の美しい思い出を封印し、愛しい人のために未来を用意してあげた『カサブランカ』のボギー。

過去に引きずられずに未来に向くのってそう簡単なことじゃない。 スカーレットやボギーに比べて、ギャツビーは過去にとらわれすぎてしまったのでしょうか。


ギャツビーのことが気になり始め、作者のフィッツジェラルドのことが気になり始めたときに、村上春樹著「ザ・スコット・フィッツジェレルド・ブック」という本を見つけたので、即購入しました。本の帯にはこうあります。「それは『グレート・ギャツビー』翻訳への長い旅の始まりでもあった」

なるほど、読んでみると、村上春樹さんのスコット・フィッツジェラルドへの執着、愛がにじみ出ている内容の本です。スコットが幼い頃を過ごしたニューヨークの当事の姿を現している古地図を眺めたり、スコットが妻のゼルダに出会った街、アラバマ州モントゴメリを訪ねたり(とっても田舎らしい)、スコットの実家のあるミネソタ州セント・ポールを訪ねたり、メリーランド州ロックヴィルにある二人のお墓を訪ねたりしています。

スコット・フィッツジェラルドがゼルダに始めて会ったのは、1918年のこと。スコットがモントゴメリにある陸軍将校の訓練学校での訓練期間中のことで、スコットは22歳、ゼルダは18歳だった。土曜の夜のダンスパーティで始めてゼルダを見たスコットはその美しさに感嘆したという。「アラバマ、ジョージア二州にわたって並ぶものなき美女」と語ったとか。最高級の賛辞ですね。

その後二人は何度かデートを重ね、お互い離れられない存在となっていく。そしてスコットは1920年に『楽園のこちら側』でベストセラー作家となり、二人の華やかな生活が始まることになる。

この本によると、1920年代は、アメリカ合衆国にとっては燃え上がる青春とでも言うべき、疑いを知らない幸福な時代だったそう。アメリカの経済力は飛躍的に増大し、株価はどんどん上昇、建国以来常に英国の風下に置かれてきたアメリカの文化はようやくその独自のスタイルと価値観を身につけようとしていた時代。いわゆる「ジャズエイジ」といわれた、狂騒の時代。女性はコルセットで身体を締め付けることをやめ、自由で開放的な洋服を身につけ、髪を短く切り、新しい女性像を作り出した。「フラッパー」と言われるスタイルをまさに体現していた美しいゼルダはハンサムなスコットと共に時代の人気者になった。
私と『華麗なるギャツビー』②_e0123392_0192449.jpg
私と『華麗なるギャツビー』②_e0123392_0194739.jpg


しかし、その後、1929年の大恐慌もあり、二人の生活もすさんでいくわけですが、普通の人にはなかなかできない奔放な二人の生き方は人々の関心を引いてやまないですね。10歳ほど年下ですが、映画『俺たちに明日はない』で描かれた、ボニー&クライドも同じように奔放さにおいて人々の関心を引く存在です。


というわけで、私の『華麗なるギャツビー』とのふれあいはこんな順序で行われてきたのです。
①本「華麗なるギャツビー」(野崎孝訳)→ ②映画「華麗なるギャツビー」(1974) →③本〈英語版〉’The Great Gatsby → ④映画「華麗なるギャツビー」(1974)再び、→⑤本「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」村上春樹著訳→ ⑥映画「グレート・ギャツビー」(2013) 
私と『華麗なるギャツビー』②_e0123392_01159100.jpg


このあと、村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』を読んで、できれば英語版ももう一度読めたらなあと思っていますが、実現できるかどうか。今度は、翻訳という観点から考察したいなあと思っているんですよ。野崎孝さんの訳はすばらしいですが、村上春樹さんの訳は現代的で読みやすいのです。    つづく。。。

by oakpark | 2013-07-13 00:12 | 映画&本

<< 'Sweet Caro... お勧めのラジオ講座 >>