高峰秀子特集♪   

去年の12月28日に高峰秀子さんが亡くなったというニュースが入り、買いだめしていた高峰秀子さんのエッセイ「私の渡世日記上・下」を読んだということはここに書きました。そのときに、小津安二郎監督の「宗方姉妹」を観たのですが、その後、気になっていた高峰秀子出演作品を4本観ました。

① 「カルメン故郷に帰る」(1951) 木下恵介監督
② 「浮雲」(1955) 成瀬巳喜男監督
③ 「喜びも悲しみも幾歳月」(1957) 木下恵介監督
④ 「笛吹川」 (1960) 木下恵介監督

さて簡単に感想を書きたいと思います。 が。。。。
最初に断っておきますと、私は今までほとんど古い日本映画を観たことがありません。もちろんこれらの映画世評やこれらの映画に出演している役者の世間に与えられている評価なども全く知りません。 私が曲がりなりにも映画を観るようになったのは80年代後半からですし、それも大した量を観ているわけではないので、映画のことは何もわかっておらず、ましてや芸術面から論じることなんて全く出来ないのであります。つまり、これから書くことは、多少なりとも最近の映画をいくつか観たくらいの経験しかない私の浅はかな感想であります。きっと、「何言ってやがんだ」とか「それはそうじゃないんだよ」とか、いろいろ思われることもあると思うし、人生の大先輩の役者さんたちに失礼なことも書いてしまうかもしれませんが、そのあたりはご容赦願いたいと思います。 これから昔の日本映画を少しずつ見ていきたいと思っていますが、そんな私であることを考慮いただけるとありがたいです。

な~んて書きましたが、別に大それた事を書くつもりではないのです。ただ、昔の、ある程度世間で評価されている映画の感想を書くとなると少し今までとは違った気分で、まあ、早い話が、ちょっぴりビビッています。

① まずこの映画は、物語に入っていくのに時間がかかりました。一体どういう時代? のどかな田園風景の広がる村に登場した、ド派手な服装のこの人たち(高峰秀子と小林トシ子)は何モン? やがて、高峰秀子はこの村の出身で都会に出て成功したというので故郷に錦を飾りに来たのだということがわかってきました。ただ、何をして成功したのだろうかというのがわかりません。本人たちは鼻高々、「私たちは’芸術’をしている」というのですが、村の人々は彼女たちを半ばからかうような目で見ている。ただ一人、高峰の演じるおきんの父親だけが浮かない顔をしている。 どういう設定?と思いました。 そして物語の後半に彼女たちが’芸術’と思い込んでいるのは実はストリップだということがわかってきます。どうりでお父さんが悲しそうな表情をしているわけだ。 彼女たちは村の男たちにのせられるまま、本業のわざを披露して意気揚々と故郷を後にするのですが、のーてんきな女性を高峰秀子が明るく演じています。高峰秀子の作品って、長らく「二十四の瞳」の大石先生イメージしかなかったのですが、「宗方姉妹」にしても実はこういうキャラクターのほうが得意なのではないでしょうか。 「いいことおもいついた!」と叫び、村人の前でストリップショーを演じようと提案した時の高峰秀子の表情のかわいくもこっけいなこと。思わず笑っちゃいました。
で、前から思っていたのですが、笠智衆の台詞回しって、あれは棒読みではないのでしょうか?あれはすばらしい演技なのか、それとも棒読みなのだけれど、彼の個性として映画に溶け込んでいるのだから名演なのでしょうか。そのあたりがよくわからない。 笠智衆だけに限らず、昔の俳優さんの演技は、どうも棒読みに聞こえてしまいます。日本語の響きが当時は違ったのかと思ったりもしましたが、高峰秀子はとても自然にリアルに聞こえる。実はとても演技の上手な女優さんなのではないかとこの映画の時点で思いました。ちなみにこの映画は日本で最初のカラー作品だそうです。役者の顔色を均一にするのにドーラン選びに苦労したと「私の渡世日記」にありました。ではつぎ。

② この映画では一転して、男を惚れぬく執念深い暗めの女性を高峰秀子が演じています。「私の渡世日記」によると、そもそも高峰秀子が映画の世界に入ったのは、たまたま叔父さんに映画撮影の現場を見学に連れて行ってもらい、たまたま子役を探していた現場に遭遇してオーディションを受けることになり、ラッキーにも大勢の候補の中から選ばれたから、だそうですが、そんなふうに映画界に入った俳優さんは他にもきっとたくさんいるだろう中、高峰秀子が、その後長きに渡る俳優生活を続ける羽目になったのは(俳優という職業は好きではなかったらしい)、やはり彼女に稀有の才能があったからではないかと思うのです。 思うに、声が良いですね。 適度に低くて粘りがある声。 この映画の中でも男にしなだれかかるときの甘えたような声は、ただ甘いだけではなく、大人っぽく色っぽく、童顔のお顔からするとちょっと意外な感じの良い声なのですよ。この映画を見て、だから成功したんだな、と私は思いました。相手役の森雅之はまさにはまり役でした。女にもてて、女にだらしないというこういう役がぴったり。ニヒルで自堕落な二枚目ですねえ。高峰秀子も「私の渡世日記」の中で共演男優の中で唯一森雅之のことを褒めていました。この人がいたから「浮雲」を自爆せずに撮り終える事が出来た、と。 最後は物悲しかったです。関口浩のお父さんの佐野周二の若い頃をはじめて見ました。

③ いや~、これはよかったです。長い映画だったけれど、何日かに分けて飽きずに見ました。この人たちの行く末がどうなるのだろうと気になって仕方がありませんでした。ちょうど私も子供たち3人を育てそして巣立たせる直前なので、この映画で描かれる灯台守の夫婦の人生に重ね合わせ、涙しながら観ました。ここでの高峰秀子もうまい。当事33歳くらいですが、初老になって灯台の中の階段を降りるシーンでは、本当に手元足元がおぼつかなげでまさに老女の所作そのものでした。それに対して、相手役の佐田啓二は、それなりに変化を見せていたけれど、演技に重厚さはなかったようにも思いました。(生意気ですみません)  でも、男前だからいいです。 灯台守として日本各地を家族で点々とするうちにさまざまな事件、悲しいことやうれしいことに遭遇する夫婦。時にはけんかをし、時には支えあい、長い夫婦生活を営んでいく様子がとてもリアルで、心に沁みました。 良い映画だと思いました。 昔からこんな映画があったのですね~。 少し調べると、有人の灯台は2006年にすべてなくなり、自動化されたそうです。

④ これは不思議な映画でした。暗くて重い映画。でも、出演者の力のこもったせりふが、画面にかろうじて活力を与え、観続けることができました。そこまで気張らなくてもいいのでは?まるで舞台みたいと思うよなしゃべり方を(ほぼ)全員がしていました。そして観ていくうちに、ああそうだ、これは反戦映画でもあるのだと気づきました。 人がこの世に生を受けたのは、戦って死ぬためではないと思う母の気持ちと、お世話になった人の恩義に報うことこそが大事であると思う若い息子。 いつの時代もこういう食い違いはあるのでしょうね。 子供は親から離れ、それぞれの価値観をを育てていくわけで、親の手の届かないところに行ってしまう。何とかつなぎとめようとして自らの命も失ってしまう母は悲しい。「喜びも悲しみも~」で、のーてんきな若い灯台守を演じていた田村高弘が、ここではさすがの演技です。公開当事高峰秀子より4歳若い32歳。おじいちゃんになってからは歩き方から何からまさに老人そのもの。よくもあんなに化けたなあと思います。 白黒映画の一部にカラーをあとかあらつける不思議な手法が使われています。これに対して非難も声もあるようですが(ネットの感想で)、私は、これによって、リアルさを少し和らげて幻想的な雰囲気してくれたことで救われたような気分になりよかったと思いました。 でなければ、合戦のシーンも多いし、あまりにも重いので。
それにしても、川中島の戦いとか、長篠の戦いとか、歴史の教科書に載っているような合戦で戦った男たちが、高峰、田村夫婦の住むぼろ家に「今帰ってきたぞ」と、普通に、会社勤めから帰ったような口調で言うのがおかしかったです。 戦いや死がすぐ隣り合わせにあった時代。 恩義を尽くす、恨みを晴らす、ただ黙々と生きていく。 人は一体何に価値を見出すのか。 今の世の中にも通じるテーマかもしれないと思いました。
高峰、田村以外にも、松本幸四郎とか、岩下志麻とか、山岡久乃とか、いろいろその後有名になる俳優さんが出ているのですが、大体において木下作品はアップが少なく、俳優が誰というより、物語の全体像を味わう作品でした。 う~ん、不思議な映画だったなあ。 あと、音楽ではなく、鈴とか太鼓とかの音が不気味な雰囲気を出しますね、昔の映画は。 「ぼこ(=こども)」という言葉もはじめてききました。「おぼこい」という言葉はここからきているのかしら。

by oakpark | 2011-02-09 00:47 | 映画

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