息子のこと   

私事日記が続くけれど、今日は息子のことを書きます。

日付が変わってしまったが、今日12日は息子の中学の卒業式だった。昨日が15歳の誕生日で今日が卒業式。月並みだけれど、大きく立派になったなあ、と感慨深かった。数日前に行われた在校生主催による「三年生を送る会」で、三年生代表の挨拶をしたことも驚きだった。卒業式では、卒業生代表挨拶は例年生徒会会長が行うが、「三年生を送る会(略して三送会)では先生の推薦。息子はその代表に選ばれたのだ。挨拶の内容は全部自分で考えて下書きをし、その後先生に添削しもらい、本番に臨んだ。終了後、先生からお電話があり「とても立派で堂々としていましたよ」とお褒めの言葉をいただきとてもうれしかった。見てみたかったなあ。

思えば、よくもここまで成長したものだ。
校長先生の話にもあったが、この学年の子達が生まれてきたときは、大変な事件が連続していたころだった。3月生まれのうちの子の場合、妊娠8ヵ月で阪神大震災があり、誕生直後には地下鉄サリン事件が起こった。そうこうするうちに、生後3ヶ月検診で体に異常が見つかり、慌てて診察を受けに行った病院で「すいじんしょうです」と告げられた。初めて聞く病名に「それは、いのちにかかわる病気なのでしょうか」とおずおずと聞く私に「このまま放置しておくと命にかかわります」と冷たく言い放った医師の表情が忘れられない。その日のうちに入院し、一度退院したあと、生後9ヶ月の12月に再入院し手術を受けた。手術当日、私たち夫婦は渋滞に巻き込まれて遅刻。到着したときはすでに息子は手術室に運ばれたあとだった。待合室には、一組の夫婦が悲痛な表情で、わが子の手術室からの生還を待っていて、このときやっとことの重大性を実感し、もし無事に帰ってこなかったら。。。。と背筋が寒くなったものだ。固定ベルトでベッドに縛り付けられた姿で手術室から出てきたのを見たときはかわいそうで涙が出た。

幼稚園に入る前の幼児教室では、3月生まれということもあってか、すべてにとろかった。先生から、「今日は折り紙をしていました」「今日も折り紙をしていました」「きょうも、、、折り紙でした」と、申し分けなさそうな報告。折り紙しかできないんかい!と思った。オムツもなかなかとれなかった。いつだったか、いよいよ来月から幼稚園だという頃のある日のお迎えで、ずっしりと重そうにオムツパンツが垂れ下がっている姿を見て、ついかっとなってどなってしまった。「もう!としくんくらいじゃないの!!まだオムツがとれてないの!!!」 すると、息子はうつむきながらわずかに口を動かし抵抗してきた。「・・・・ ○○くんも・・だよ・・」「え?だれ?○○くん?? どの子よ!」 「あのこ」 息子が指差す先を見ると、色白でおりこうそうで、このお教室で一番かわいい子だなあと、私がかねてから目をつけていた男の子だった。 かしこそうに見えてあの子もとろいのね、と安堵感(仲間がいた)と少し軽蔑?ではなくて、同情心(お母さん大変)がふっとわいてきたような気がした。 でね!その子がですね~、今息子と同じ陸上部で、一番仲良くしている子のひとりなのですよ!つい、2,3ヶ月前に判明したのです。そりゃあ、びっくりしましたよ~。 長距離の選手で、ユニフォームを購入する前の1年生のときから速くて、体操服姿で大会に出してもらっていたので名前は知ってしました。根性のある子で、3年生最後の大会でも、3000m走の最後の直線で苦しい表情をしながら、必死で前の選手を追い上げていた姿がかっこよかった。もしもこのときに、この彼が幼児教室で一緒だった○○くんだと知っていたら、私、感動で泣いていたかもね。しかも、さらに驚いたことに、その子の誕生日が息子の誕生日の一日前だった。だからか~、オムツがなかなかとれなかったのは。3月生まれだから仕方がなかったのよ、と今なら笑って言えるのだが。

それにしても、息子が中学で陸上と出会った事は本当に意義深かった。努力したら努力しただけ報われる喜びを味わえたと思う。小学生のときのサッカーチームでは、良い仲間に恵まれて、それなりに楽しい日々を送ったけれど、つらい経験もしたと思う。あまりガッツを表に出す子じゃないので、コーチに「それでいいのか!くやしくないのか!」と叱られている姿をみて不憫に思ったりもした。サッカーチームの卒団式では、ただひとり「僕は中学で陸上をやります」と高らかに宣言し、場の雰囲気を凍らせた。でも、言葉通り、中学3年間は陸上に打ち込んだ。試験中を除くほぼ毎日朝連に通い、家では入浴前の筋トレ、入浴後の柔軟を欠かさず、体つきもどんどん変わっていった。もともとずば抜けた運動神経があるわけではないけれど、四種競技でそこそこの記録も出せるようになったのは立派だと思う。そういえば、いつだったか次女と一緒に競技を見に行ったとき、出るはずのレースに息子が出ていない。おかしいなと思って、様子を見に行かせた次女が、「おにいちゃん、何かもらしたみたい」と報告してきたことがあった。は?もらした?なにを? 具合でも悪かったのかと心配になり、息子が帰宅後問いただしてみると、機嫌悪そうに返ってきた返事が「コールもれ」。 つまり、レースの前の選手のコールに間に合わずレースに参加できなかったとのこと。四種競技なので、最初にそれをやると四つとも出られなくなってしまうというなんとももったいないことをしてしまっていたわけ。何かをもらしたわけではなかった、のです。

そういったことも良い思い出。 高校では四種がいきなり八種になるらしい。そしてその先は、「キング・オブ・スポーツ」の十種競技。まあ、そこまではやらないだろうけれど、自分で納得のいくまでやりきって欲しい。陸上競技は息子を成長させてくれた。この出会いに、親として本当に感謝したいです。

もうひとつあげたいのが、音楽との出会い。特に息子は合唱が大好きで、音楽の授業以外に有志による合唱団に入り、昼休みの練習に参加していた。私のお下がりのi-pod には合唱曲をいれ、時々鼻歌で歌っていた。I-pod に合唱曲を入れている中学生男子って結構珍しいんじゃないかと思ったりもしたけれど、NHKコンクールやTBSコンクールでがんばる姿を見て、こういうのもありなんだな、と思った。

子供は親が思いもよらないふうに成長する。地道な筋トレなんか大嫌いで音痴な私から息子のような子ができるなんて。逆にボールゲームが得意で(小学生の頃ね)、毎年リレーの選手で、親からよく「すばしっこい子やねえ」と言われていた私から息子のようなとろい子(一応、小学生の頃まで、かな)ができるなんて。親と子は違う。そのことを痛感した3年間だった。息子のおかげで私も成長しました。

いろんな意味で感慨深かった卒業式。すべてが終わって退場していく卒業生たちは、泣いている子もいれば、この節目の行事の大きさもわからずぽかんとしている子もいた。とまどいながら巣立っていく姿に、精一杯のエールを送ろうと、手が痛くなるまで拍手した。先生方の誇らしく満足げな、そして涙目な表情にもぐっときた。女性の先生方の袴姿も華やかだった(私も袴着たかった!)。やっぱり、卒業式はいいな~。

そして、卒業式といえば「紅白饅頭」ですね。昔も、今も。
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by oakpark | 2010-03-13 01:39 | 雑感

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