誕生日に、、、   

今年の夏はひときわ暑かった。9月に入り、まだ暑い。
そんな中、誕生日が来て63歳になりました。 すごい数字だなあ。。。

今年は娘二人が家に来てくれて、先月90歳の誕生日を迎えた母が電話をくれた。うれしかった。

母は昔からどっちかというと体が弱く、90歳まで生きられるなんて当時は思っていなかったかも。
どこかに遠出すると、疲れた~と言って、畳の部屋に寝転がっていたし、何度か入院、手術もした。
70歳ころに都会から故郷である田舎に引っ越し、きれいな空気の中ストレスなく、食べ物に気をつけながら生活したおかげだね。
それと、父の献身的なサポート。毎日散歩に連れ出しているのはとても良いことだ。

私も、毎年いろいろあると思うけれど、日々楽しく暮らしていきたいなあと思っている。

9月の誕生日には、いつも自分へのプレゼントとして、洋服を買っていた。秋の訪れを感じながら、でもまだまだ暑い中、秋物をお洋服を選ぶのはいつも楽しい。。

しかし、待てよ、今年はなぜか洋服を欲しいとあまり思わないのです。。。
なぜだろう。。
もしや、活発極めつつある「ニッキ活」のせいではなかろうか。
改めて感じる、推し、がいる生活は楽しい、しかも生きている推しね。
あの人が頑張るから自分も頑張る、とか。あの人がこんなことしているけど自分はこうだなあ、とか。
頭の中がいろいろ色づいているというか、起伏があるというか、浮きたつというか、なんというか、のっぺらではないかんじ。
不思議ですね。

でも、やはり、一つだけ自分のためにファッションアイテムを買おう。雑誌のカタログで見た、1960年前後のイギリスの6ペンスコインを使ったペンダントというのがかわいい。これに決めた!
そういえば、去年は時計を買ったな。

63歳の一年も、がんばるぞ~~!
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# by oakpark | 2023-09-12 13:26

FunkyDiamond 18 福岡 千秋楽   

なんと、福岡まで行ってしまった。

名古屋、大阪を見た後、あきらめていた東京(初日)のチケットを長女が驚異の反射神経でゲットしてくれ、これで満足、と思っていたのだが、ラジオ番組でパパイヤさんがまだ福岡のチケットは残っていると言っていて、これはもう行かねばならない、と思ったのでした。
理由は
① 毎回MCが違う
② いつまたやってくれるかわからない
この2点です、とにかく!

いや、ほんと、ニッキMC頑張る~~。毎回お決まりの定番のMC(ボケ?)はあるのだけれど、それ以外を毎回変えてくる。ライブ会場のある都市にまつわるエピソードであったり、最近自分の周りで起こったことであったり、昔の少年隊時代の思い出であったり。同じことは言わないぞ、と彼なりの矜持と、お客さんを喜ばせたいというサービス精神だと思う。 毎回、思いっきりマイクにおでこをぶっつけていたし(冒頭のボケで)。すごい人だわ、やはり。

特に私の行けなかった東京2日目は、お客さんの不意の掛け声に言い返したり、戸惑ってしまったり、通常とは違う姿を見せてしまって、お互いのいじり合いで、とても盛り上がったらしい。

ニッキのファンは、少年隊時代からの長年にわたるファンと、令和に入ってからのファンが混在していて、とてもユニークだと思う。周りの友人で理解してくれる人がいないというのもみんなの共通点。ややこしい人間性のニッキのことを、みんなが愛しく思っているところがほほえましい。かっこよくダンスと歌声で決めたかと思うと、危なっかしいことを言ったり、しょーもないことをしたりするニッキのことを、ファンは、もう~しょうがない奴だなあ、と見守っている感じがする。

昨日の千秋楽の福岡は、アンコールが他の会場より1曲多かったことに加えて〈この曲へのもっていき方も秀逸だった)、私が一番感動したのは、ニッキが、自分が今ここに立てるのは鈴木(パパイヤさんのこと)のおかげだよ、と言い、そして、「さあ。皆さん合言葉わかりますね~~、サンキューベリー!!!」と、ここで会場にマイクを向けて、一同(私も言えたよ)「としちゃん!!!!」

これは、若い頃からよくニッキが言っていた、ショーもない(?)ギャクのひとつで、サンキューベリーマッチの、「マッチ」の部分を「としちゃん」に変えるという、お決まりのやつなんです。
あまりにもみんなの声がそろっていたので、隣のパパイヤさんが「すごいね~~」と驚いていたのがツボでした。
ニッキもうれしかったと思う。昔からのファンも、新しいファンも、そこはみんな把握しているんですね~~。

ほんと、この夏ニッキがんばりました。演出をしている松山の「坊ちゃん劇場」に東京から車で行き、「先生」の顔をして、帰ってきてはライブでみんなのアイドル。気持ちの切り替えも難しいよね。移動距離も半端ない。今回の福岡も車で行っているし。

舞台に立って、観客を感動させる、ってどのくらいの大変なことなのか、私には想像できないけれど、相当なエネルギーを要するのではないか。5公演、全力で歌い、踊り、MCを頑張り、出し切ってくれて、ほんとありがとうと言いたい。

ずっと、長年、表舞台に出ない生活をしていて、徐々に、感覚を取り戻しつつあるのではないかと思う。演出の仕事もやりがいがあるのだと思うけれど、やはり、ニッキには、表に出てパフォーマンスをしてほしいと切に思う。若い頃、あんなにすごい、別格のダンスをしていた人なんだから~~。 アステアだって、70歳くらいで踊っているの見たことあるよ。。ニッキは、ダンスに加えて歌とMCもあるし。この3つの組み合わせた最強だもの。これからも頑張ってほしい~~。

というわけで、私の楽しい夏休みも一区切り。 
秋に向けて、もう少し知的な生活もしないとなあ。。。。。

昨日のニッキのMCにも出てきた 「鉄なべ」に、ニッキ友と行きました!
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# by oakpark | 2023-08-19 21:57 | 少年隊(錦織一清/ ニッキ)

FunkyDiamond 18 名古屋&大阪   

いや~~、素晴らしかったのです!
ほんと良かった、楽しかった!!

このライブに行く前に私には3つの心配事があった。
① 若いかっこいいニッキのファンになった私。今の58歳のニッキを見て幻滅しないかどうか。
② 昔の超アイドルだったころのファンの方たちが来ていてついていけないような雰囲気ではないかどうか。
③ 感激して最初から泣いてしまうのではないか。

まず①は、全くそんなことはなかった。もちろん事前に今の姿をさんざん動画などで見ていたし、考えたら58歳なんだし、そんな20歳や25歳のころと一緒の外見をしているわけでも、あんなにくるくる回ったり、足を上げたりできるわけでもないし、ということもあるけれど、音楽に合わせて自然に動くニッキ様は、本当にかっこよかった~~。何曲かバラードを熱唱し、そのあと軽快に「アップテンポの曲行きましょ!」と言って動き出す自然さ。長年のダンスが体に染みついている感じがとってもかっこよく、やはりそんじょそこらの普通の58歳とは全然違う!と思ったのでした。

②については、かなりの方が、ニッキのシンボルカラーである赤のお洋服を着てらっしゃったけれど、そんなに怖い雰囲気ではなく、普通の、私より少し若いかな~と思える年齢層でした。ニッキの、独特な存在感のせいか、おひとりで来てらっしゃる方が多く、グッズ販売の列で、何人かの方とお知り合いになり、開演まで一緒にお茶をしたりしました。そして少し昔のお話も聞いたりして、ラッキーでした。

③に関しては、意外に冷静に普通のライブと同じように見ることができました。席が遠かったせいもあるかな。双眼鏡が大活躍でした。二日目の大阪は、片手にペンライト片手に双眼鏡で、しっかりニッキの表情まで凝視していました(あまりはっきりとは見えなかったけれど)。あるとは期待していたけれど、最後の2曲は、もうもう、大興奮。あ~、本当に良い曲だなあ。また、みんなでやってほしいなあと思わずにはいられませんでした。

でも、でも、何年ぶりになるのでしょうか。ニッキがファンの前で自分メインでライブをするのは。高校の同級生のパパイヤ鈴木さんが本当に良い方で、いつもニッキのことを持ち上げて、ご自分も実力者でもっとアピールしたいだろうに、いい感じのコラボができていたように思います。ありがとう、パパイヤさん、パパイヤさんのお姉さん。 このユニット、これからも続けてほしい。できれば一年に一回ではなく、半年に一回くらいのペースで。お願いします!  
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# by oakpark | 2023-07-24 22:24 | 少年隊(錦織一清/ ニッキ)

少年隊10thAnniversary Liveでのニッキ   

少年隊のニッキ研究、続いております。

ニッキがDJを務めた昔のラジオ番組まで聞いちゃったりして、内心、何言ってんだか~~、と思ったりしているのですが、本人には、ちょっと申し訳ない気もします。だって、昔の自分がさらけ出されているのっていやですよね。昔と今って、同じ人間であっても、かなり中身はちがっていますからね~~。

私は若い頃、前の職場の元同僚を文通をしていたことがありました。メールではなくて手紙のやり取りです。二人とも筆まめで、かなりの量の手紙をやり取りしたはずです。数年前その元同僚が、断捨離をしていたら私の手紙が出てきたからお返しするねと送ってくださいました。どんなことを書いていたのかなあ~と、手に取った手紙を開いて1行読んで、ギャーとなり、すぐに閉じてしまいました。それくらい昔の自分て恥ずかしい。 だから、昔のニッキを調べ、分析している私は、いけないことをしているようにも思う瞬間があるのですが、まあ、ファンってそういうものですから。許してね。

前置きが長くなりましたが、今回は、少年隊デビュー10周年のコンサート(1995~1996)です。20歳で、デビューしたニッキ様は30歳のころですね。

最初見たとき、お、これは!かなり変化だな、と思いました。前のブログにも書きましたが、コンサート映像を見た順番は、①1990年(ニッキ24歳)→②デビュー前のMV(18~19歳ころ?)→③1987年(ニッキ21歳)→④1992年(ニッキ26歳)ですから。

30歳のニッキは、「アイドル(王子様)はもういいや~~」って感じだな、というのが第一印象でした。短髪というのもあるし、それよりも目を引いたのが衣装の着方。最初のシークエンスで着ている衣装が、黒のスタンドカラーのシャツにジャケットなんだけれど、スタンドカラーの襟もとにスパンコールみたいなキラキラがついていて、ほかの二人はちゃんと上までボタンをしめてそのキラキラを見せているのだけれど、ニッキだけボタンをはずし、開襟シャツのようにしていてキラキラが見えない。次の衣装でも、ほかの二人よりもボタンを一つ多く外している。この時期は、セクシーさをアピールしたかったのかな。大好きな、矢沢永ちゃんを意識していたのかもしれない。もちろんパフォーマンスは申し分ないのだけれど。特に、歌わずにダンスだけしている時のニッキは、本気にダンスしていてかっこいい。

でも、全体に、20代のころのような、アイドル笑顔がない。当たり前なのかもしれないけれど、私にはそこがちょっと寂しかった。また、デビュー曲の「仮面舞踏会」を歌ったときも、私が一番好きな振り付け、間奏で、マイクを置いて足を広げて腕を振るところが、かなりの手抜き?で、寂しかったかな~~。 まあ、これも仕方がないですけどね。コンサートでは、たくさんの曲を歌うので、全部を全力でやると体力が持たないもの。どっちかというと力を入れるのは、新しい曲で、昔の曲は流すことが多いですね。エルヴィスも、昔の曲は、ファンサービスタイムみたいな感じだったもの。

それにしても、ニッキのリアルファンでなかった私は、どうしたの~~?ニッキ?と思ってしまう感じもあった。ちょっと近寄りがたい感じもあって、ファンにこびないというか、自分はこうなんだと出しているというか。

いつも思うのだけれど、アーティストは年齢とともに、いろんな変化を遂げていくのだけれど、ずっとファンを続けている人たちってホントすごいなあ、と思う。アイドルのニッキ、王子様のニッキのファンになった人たちは、このあたりで離れたかもなあ、なんて思う、30歳のニッキでした。Queenのファンをやっていていろいろ調べていた時も、初期のオペラチックな華麗な彼らのファンになった人たちは、80年代の、リズムを重視した音楽に変わった時にかなり離れたと聞いたなあ。ボブ・ディランも、エレキギターを使ったときにファンが離れたと聞いたし。


ニッキについて、私が思うことを言わせてもらえるとしたら、セクシー路線でも何でもいいから、もっとミュージカルの方向に行ってほしかったなあ。とても澄んだきれいな声を持っているのだから。でも当時は、今のようにミュージカルがそれほど脚光を浴びていなかったかもしれない。世間的にも。それほど話題になっていなかったかも。役者の人気でもっていたような気もする。ニッキが頑張った「ゴールデンボーイ」も見たけれど、ちょっと残念かも?と思ったのが、お客さんがほぼニッキファンという感じだったこと。一般の人にも絶対受ける素晴らしい舞台だったのに。でも、彼はミュージカルではなくて舞台のほうに進んで、演出のほうに進んだんだなあ。いや、絶対、演技だけではなくて、歌とダンス込みのほうがよさが際立つのに、、、なんて(小声で)。

でも2023年になって、なんと、高校時代の同級生のパパイヤ鈴木さんと再会し、もう一度ダンスに挑戦してくれようとしている。私がニッキのファンになったきっかけが、歌でもなく、ルックスでもなく、ダンスだったので、ものすごくうれしい。もちろんニッキも今58歳。昔のような激しい踊りができるとは思わないし期待もしていないけれど、あの、若い頃、信じられないようなすごいパフォーマンスをしてくれた人が、今も動いてくれているということが嬉しくて、今週末名古屋まで見に行くのが、とっても楽しみ。そして、ちょっと怖いです、正直。

次回のブログはそのことになるかな。



# by oakpark | 2023-07-11 17:18 | 少年隊(錦織一清/ ニッキ)

誰がセンターでもかっこいい少年隊   

前回投稿より1週間。その後も少年隊研究は続いております。
ついに、限定受注生産だったという35周年記念ボックスを手に入れました。なんといっても欲しかったのがコンサートの映像のDVD.
1985年デビューの少年隊だからVHSビデオの販売しかないと思っていたので、これを見つけたときは迷わず(実はちょっと迷ったけれど)手に入れることにした。そしてまず最初に1990年のスプリングコンサートをみて、その次にデビュー前のプロモーションビデオ的なものを2枚見た。disc 9 → disc 6 → disc 7 という順番。

そしていろいろ思うところがあった。

今回私が少年隊のファンになった時、私の知っている少年隊のイメージは、看板メンバーはヒガシかな?だった。ただ、リーダーはニッキだと知っていた。90年代初めころ、時々テレビで見る少年隊のニッキはすでに中年の雰囲気をまとっていたけれど、パフォーマンスが始まると存在感というか、立ち姿が立派でオーラがあり、さすがリーダーだなと思っていた記憶がある。でも、少年隊というのは東山がいるグループだよね、という認識。

「仮面舞踏会」や「まいったね、今夜」を見て、ニッキファンになった私は、その後様々な動画を見まくり、いろんな媒体を通じて、実は結成時期から少年隊をけん引していたのはニッキだったと知ることになる。ダンスが抜群にうまく、歌もアイドルにしてはうまく、カメラを意識したパフォーマンスにも余裕があって、まさにリーダーの風格。曲や舞台の制作過程にも深くかかわっていたようだ。言ってみれば、少年隊というのは、ニッキをデビューさせるためのグループだったといえるかもしれないくらいだったとわかった。BTSのRMのように。そうだったんだね、失礼しましたという気持ち。少年隊がバリバリのアイドルをやっていたころは、私は20代後半で、仕事や私生活が忙しく、テレビをあまり見ていなかったんだなあ。

3人グループというのは、誰がセンターかというのがやはりかなり気になるところなのだけれど、その点において少年隊はとても独特のグループだ、ということもわかってきた。 

デビュー前の映像を見ると、かっちゃんがセンターのことも多い。どこかで読んだのだけれど、作曲家の先生がかっちゃんの甘い声、アイドルど真ん中の声を気に入ってセンターに指名したのだとか。なるほど~~。デビュー後の名曲「君だけに」も歌いだし、センターがかっちゃんだもの。 デビュー前後からセンターはニッキになる。ニッキの激しいダンスを二人がサポートするシーンもある。

では、いつも決まってニッキがセンターかと思いきや、そこが少年隊というグループの面白いところで、歌によって、あるいは歌の途中でも、しょっちゅうセンターが入れ替わる。また、ソロで歌う分量もほぼ3分の一ずつで、誰かがよりたくさん歌うということがあまりない。これはとても珍しいことではないか。キャンディーズなんかは、いつも蘭ちゃんがセンターだった。デビュー時はスーちゃんだったらしいが。

最初の3,4年は、ニッキがセンターの場面が多い少年隊だった、が徐々に、センターがヒガシの場面が多くなってくる。シングル曲でいうと、5曲目のStripe Blue は歌いだしのセンターががヒガシで、途中ヒガシの美しいバク転がフィーチャーされる。ニッキとかっちゃんはサポート側という印象。ニッキファンの私は、もっとニッキをセンターに、もっとニッキを目立たせてほしい、なんて思いながら映像を見ていた。心が狭いですね。 しかし、少年隊に詳しくなればなるほど、だんだんとリーダーのニッキ自身も少年隊というグループを考えたときに、そうするべきだと思っていたのではないか、と思うようになってきた。サポートポジションに回っている時のニッキもいつも笑顔で楽しそうに歌って踊っているのだ。

ニッキは悔しくなかったのかなあ、なんて、最初思ったりもしていたのだが、10代のころの彼らの映像を見て、なるほど~、だから、長く続いたグループんなんだなとひざを打った。すごくいいバランスなんだと思う。アメリカに連れて行ってもらってはしゃぐ映像を見ていると、なんでも大胆に率先してやっているのがヒガシや、かっちゃん。ニッキは、それほど、おれがおれがと出て行ってない。私は実は、「兄弟性格論」が好きなのだけれど、ヒガシとかっちゃんは妹がいるお兄ちゃん。ニッキはお姉さんがいる弟。しかも、ニッキは少年野球の時にキャッチャーをやっていたらしい。キャッチャーする子っていうのは、目立ちたがり屋じゃない。他人を立てるタイプなのよ。私のいとこのお兄ちゃんにずっと野球をやっていた人がいて、高校野球も頑張っていたのだけれど、監督からキャッチャーをやれと言われて野球をやめてしまった。それを聞いた私は、わかるかも、、、と思ったことを鮮明に覚えているもの。はい、私は長女体質です。

ニッキは多分すごく負けず嫌いで努力家だったと思うけれど、目立ちたがり屋ではなかった気がする。今、演出の仕事を好んでやっているのは、そういう志向の表れでもあって、彼はいつも全体を俯瞰して、どういう絵が一番お客さんに受けるか、どうやったら一番そのグループが輝けるかを考えていた人なんだと思う。

5年目あたりから、見栄えがかっこよくて人気も高いヒガシをうまく少年隊の顔にしようとしていた気がするな。5年目の1990年のコンサートは、スタートがヒガシセンター。最後にメンバーを紹介するときも、かっちゃん、バンドと紹介して、最後に、「最高にかっこいい東山紀之!」なんて紹介したときは、なんて大人なの、あなたは!と思い、涙ぐみそうになったんだもの。

でも、アンコールをどうするかのカーテン裏でのやり取りは、もちろんニッキが仕切っていて、かっこいいリーダーでした。


デビュー2年目に当たる1987年の武道館コンサートはニッキセンターからスタートしてるんだなあ。きっと、いろいろ構成を考えていたんだろうなあ、少年隊は。大きなけんかもなく、35年も続いたなんてすごいことだと思う。

少年隊の、3人がそれぞれソロを取るときに、残りの二人が全力のダンスでサポートするそのスタイルが大好きで、3人の個性がかみ合った、最高のグループだと思う。
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# by oakpark | 2023-06-30 15:40 | 少年隊(錦織一清/ ニッキ)