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オリンピックの解説に思う   

オリンピックが大好きな私は、夏、冬に限らず、いつもオリンピック放送を楽しみにしている。

今回のソチオリンピックも、いろいろ仕事や用事の合間にできるだけ観るようにしている。昨晩は、深夜12時から放送の女子フィギュアスケートを最初から観て、2時半ころの、キム・ヨナ選手の演技を観たところで、眠さに耐え切れなくなり寝てしまった。黄色の衣装が意表をついて素敵で、4年前のバンクーバーのショートの007ほどのインパクトはなかったけれど、とても優雅で素敵だった。あ~、これは、やはり、真央ちゃんは勝てないなあ、と思いながら眠りについた。朝一でテレビをつけると、なんと、勝てないどころか、まさかの16位とあるではないか。そういえば、ソチ入りしてから表情がさえなかったなあ。団体戦も負担になったのかも、と思ったりした。

しかし、今回書きたいのはそのことではない。スポーツ番組の解説についてだ。実は、2時間半ほど、八木沼純子さんの解説を聞いていたが、今回はとっても不満がたまった。いつもはそれほど気にならないのに、オリンピックということで、私の中でも「特別感」があり、いつもより気合を入れて聞いてしまったからかもしれない。八木沼さんの語り口が落ち着いていて素敵なのはわかるが、下位の選手から上位の選手まで、いつもほめてばっかりで、どこが「差」なのか全然わからない。転倒があったりすれば、素人でも「あ~、失敗しちゃったんだな」と思うけれど、全然転倒もなく、ジャンプもスピンも上手にこなしているように見える選手の点数が50点台で、キム・ヨナ選手は70点台というその差はなんなんだ。しかも、ヨナ選手は終わったとき、さほど、満足していないような表情だったのに、それはなぜ?解説もないし、全然わからない。しかも、ヨナ選手の曲紹介もなかったように思う。この曲は何なのかなあ~と思っているうちに演技が終わってしまった。私はフィギュアスケートは演技と同じくらい音楽を楽しみにしているのに。最近のフィギュアの解説は「けなさない」という決まりでもあるのかしら。八木沼さんではなかったけれど、リード兄弟のペアダンスを見ていたときも、解説の人が「いいですね~。よくすべっていますよ~。ツイズルもよく合ってますね。。。。」などと、ずっとほめていたのに、終わったときの二人の表情がさえない。最終的に参加チームの下から2番目の成績だった。新聞を読むと、ステップにミスがあったとあった。そういうことを放送中に言って欲しい。芸術鑑賞をしているわけではなく、点数をつけて競争をする「スポーツ」を我々は見ているのだから。

スポーツをテレビ観戦するときに、解説の果たす役割は大きいと思う。解説の人の技量で、スポーツ番組を観たときの満足度が違う。

今回、女子のカーリングもかなり見た。解説の敦賀さんもなかなかわかりやすくてよかったが、前回のオリンピックのときの小林さんのほうが私は満足度が高かったな。敦賀さんは、自身もまだ競技者であるせいか、相手チームにも敬意を表するあまり、平等すぎて面白みに欠ける。もうちょっと、日本チームを応援するような解説のほうが、「そうだ、そうだ」となる。

でも、あまりにも応援しすぎると、滑稽だ。複合ノーマルヒルの渡部選手が銀を取った試合を見ていたが、解説の荻原健二選手が絶叫していて、「こりゃ、解説じゃないな」と」苦笑してしまった。でも、ほほえましくもあった。それだけ、この競技を愛し、自分の人生を賭けてきたんだと思うから。荻原選手といえば、リレハンメルオリンピックで複合の団体戦で金を取った試合が忘れられない。当時私はアメリカに住んでいて、大好きなオリンピックで日本選手を見たいのに、全然テレビに映らず、つまんないね~、と思っていたとき、ふと、テレビをつけると、日の丸が映っていて、あれ、日本選手?、え!金~?となったときがあったのだ。当時、複合なんて種目を知らなくて、これはどういうことだろうかと思った記憶がある。双子の弟の次晴さんと共に今でもメディアなどで活躍しているのはうれしいことだ。

水泳の解説でも、興奮しすぎる人がいたなあ。「やった~!」とか言っちゃったり。でも、それはそれで、興奮が伝わってきて良い場合もある。興奮を伝えつつ、冷静な解説、素人にもその競技の醍醐味がわかるような解説をして欲しいなあと思う。

今回は辛口ですみません。気合を入れて観ていたんで、ついつい。
いや、でも、ほんと、もう八木沼さんは競技から離れて長いし、競技者としてもいまひとつだったし、そろそろ引退していただいて、別の人、もっと競技そのもののことがわかる人にやってほしいなあと思うのは私だけかしら。また、言っちゃうけれど、今回の浅田選手の冒頭のトリプルアクセルを八木沼さんは「回っているけれど、こけた」と解説していたのですよ。新聞には、回りきっていなかったとあるのに。ジャンプが正確に回っているかどうかくらいはわかる人に解説して欲しい。


オリンピックを見ながらの編み物、楽しんでます。カーディガン(去年から編んでる)とおもしろいボレロができましたよ。
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したのボレロ、たたむと一番下の写真のようで、着ると真ん中の写真のようになるんでる。おもしろい。

by oakpark | 2014-02-20 14:48 | 雑感 | Comments(0)

「かわいい魔女ジニー」日本初放送!   

わ~い、わ~~い。私の大好きな米TVドラマ「かわいい魔女ジニー」が放送開始です!テレビ東京で朝8時から。ホームページはこちら。先週終わった「奥様は魔女」のあと番組なのですが、「奥様は魔女」と同様に全エピソード(139話 シーズン5まで)放送してくれるようで、これは画期的なことだと思います。日本では、これまでシーズン2までしか放送されていなくて、しかも、DVDにもなっていないのです。私はこれが観たくて観たくて、アメリカ版のDVDを一つ買ってしまいましたが、我が家のプレイヤーはリージョョンフリーではないので、未だに観ることができていなかったのです。いや~、すごいすごい。「かわいい魔女ジニー」ファンは大興奮ですね。ったって、日本に今ファンがどのくらいるかわかりませんが~。私は、ここにも書きましたが、昔から「かわいい魔女ジニー」派だったのです。なのに、なぜ世の中的には、魔女ものといえば、「奥様は魔女」しか紹介してくれないのだろう、と不満に思っておりました。映画でのリメイクも「奥様は魔女」のほうだし。。。

私が「かわいい魔女ジニー」が好きだった理由は、いくつかありますが、まずジニーの衣装が神秘的、惹かれる。「奥様は魔女」は普通のお洋服だし。それにジニーのほうが表情が豊かでかわいらしい。そして、ダーリンと’との’を比べても、子供心にも’との’のほうがかっこよく見えた。宇宙飛行士の制服のせいもあるかもしれないけれど。職業も宇宙飛行士のほうがかっこいい。広告代理店勤務なんて、当時は斬新的な職業だったのかもしれないけれど、子どもにとっては普通のサラリーマンと一緒。そんなこんなで、「かわいい魔女ジニー」が大好きでした。そうそう、テーマソングもよかった。

でも、今回その宿敵(?)の「奥様は魔女」を研究するため、テレビ東京放送分を毎回録画し観てみました。ホームページはこちら。なるほど、サマンサはかわいらしいキャラです。60年代のアメリカっぽいです。今ではそういう価値観はあまり評価されないのかもしれませんが、会社でがんばる夫のために家でお料理やお掃除をがんばるけなげな妻。魔法をつかるとちょちょいのちょいでできるけれど、人間(モータル)と結婚した身なのでできるだけ魔法は使わない。夫に冷たい実母にも、どんくさいクララおばさんにも優しくて、いつもにこにこの良い人。 だから、人気があったのね~、と思いました。

全251話、放送されていました。ストーリーはかなりマンネリで、飛ばしたり観なかったエピソードもありますが、ほとんど観ました。そしていろいろ思いました。

シーズンを長く続けるのって大変なんだなあ、とか。ストーリーには数パターンしかないな、とか。昔の時代に戻る、あるいは昔の時代のキャラが現在にやってくる、というパターン。魔法界の人物がやってくるパターン。クララおばさんのエピソード。サマンサ役のエリザベス・モンゴメリが一人二役を演じるせりーナのエピソード。サマンサの母のエンドラのダーリンに対するイジメとか。まあ、いろいろあるのですが、いつも、サマンサが良い人で、最後丸く納まる、というパターンが多かったように思います。ストーリーはつまらないものも多かったですが、サマンサの着ているお洋服は、今回大人の目にはとても斬新に写りました。60年代ファッション素敵。あのころは、きらきらしていましたね~。「チャーリーズ・エンジェル」の衣装といい、女性がもっと今より華やいでいたように思います。

さて、今回大人になった私がじっくりと観る「かわいい魔女ジニー」にはどういう感想を持つかしらん。私の印象としては、「ジニー」のほうがもっとコメディな感じがしたのですけれどね。’との’もなかなかの演技者だったし、’との’のお友達のロジャーがおかしい人で、’との’の上司もユニークでしたねえ。そういえば、ロジャー役の俳優さんが一度「奥様は魔女」のエピソードに登場したことがあって、そのときは普通の真面目な役でしたが、ひと目で!あ、あのひとだ!」と私はわかりました~。

「奥様は魔女」に関して、もう一つ思ったのは、長いシリーズだけあって、キャストがころころ変わっていたということですね。いちばん大きなところでは、ダーリン役がシーズン6からディック・ヨークからディック・サージェントに変わりましたが、演技のうまさではディック・ヨークのほうが良かったと思いました。でも、ディック・サージェントのほうがかわいいなあとも思いました。せりふはわりと棒読みです。 となりのおばさん、グラディスも最初の女優さんは芸達者なかんじでしたが、やせてしまったのが画面からわかりました。シーズン2の最初でがんで亡くなっています。ダーリンの上司のラリーの奥さん役も途中で変わりましたね。ネットで調べていると、どうやら不祥事を起こして役を下ろされたみたいです。ダーリンのお母さん役の女優さんはうまいなあと思いました。でも、お父さん役は何度か変わっていたような気がします。昔はそういう俳優を変えるということにあまり抵抗はなかったのでしょうかね。

あと、60年代のドラマを観ていて思うのは、年配の俳優さんが多いということです。若い俳優さんはあまり出てこない。脇役もみんな年配です。当時は若い俳優さんが少なかったのかなあ、と思ったりもしました。いちど、若き、リチャード・ドレイフアスが出てきたエピソードがありました。当時から有望株だったのでしょうね。

「かわいい魔女ジニー」ほんと楽しみです。二ヶ国語放送なので、英語音声にして、日本語字幕を出しながら観ようと思っています。

by oakpark | 2014-02-11 14:11 | 海外テレビドラマ | Comments(28)

本「迷わない」「もう迷わない生活」、「弟」「兄弟」   

私の住んでいる地域では今日、今冬はじめての雪が降りました。昨日は春のような暖かさだったのに、一転して今日は寒かった。明日も寒いらしい。毎年,入試の時期に寒くなるようですね。

さて、最近こんな本を読みました。ご覧になってわかるように、アマゾンの「この本を買った人は、こんな本も買っています」にやられてしまった結果です~。
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上の二冊は「迷わない」がキーワード。情報過多の今の時代にあって、「迷わない」女性がかっこいいのですかねえ。江角さんは美容に関して「迷わない」。夜は高校生のころに使っていた石鹸で洗顔し、化粧水をつける。高級なクリームなんてつけない。それであの美貌を維持しているんですよ。ていうか、私を含めてこれを読んだほとんどの人がそう思ったと思うが、きれいな人は何をつけてもきれいなんだよっ、ってことです。

桜井さんは、政治信条について「迷わない」。この本の中で、桜井さんは自分の生い立ちや、103歳のお母さまのことや、短い結婚生活のことや、お庭のお花のことや、いろいろ書いておられますが、一番印象に残った箇所は、「今日の出来事」のキャスターを降板したいきさつです。降板の理由として、桜井さんは二つの点を挙げておられますが、こういう場合、大体、あとのことのほうが本当に言いたいことなのですよね。最初にあげる「一点め」は、本心の「二点め」をあまり強烈な印象にならないようにごまかすためというか、言葉は悪いかもしれないけれど、目くらましのような働きがあるようと感じます。もちろんこれも大切な理由なのでしょうが、一点目は長くキャスターを務めすぎたこと。そして、こちらが本当の理由であろう二点目が、局の方針はリベラルであるのに、自分はそうではなくなってきた、つまり右派に傾いたきたということ。きっと、居心地が悪くなったのでしょうね。自分の心に嘘はつきたくなかったのでしょうね。それはそれで潔いと感じました。テレビの印象そのまま、柔らかい語り口で読者に語りかけていて、なかなか興味深い本でした。


さて、次の2冊は、どちらも兄弟の物語。

石原兄弟は、なんともほほえましい兄弟。やんちゃな弟と、堅実な兄との絆がいろいろなエピソードに絡めて語られています。なるほど、裕次郎は魅力的な人物だなあと改めて思いました。 印象に残ったエピソードはいくつかありますが、まず、慎太郎のデビュー作「太陽の季節」の映画化に際して、映画化権をとりにきた日活の担当者に裕次郎が、「ほかの映画会社はもっと高値を提示している」と、交渉したこと。まだ20歳そこそこの青年なのにやるなあ、と思いました。また、兄の作品を何とか高く売りたいという、弟のけなげな気持ちに、感動しました。

これも含めて、ことあるごとに、裕次郎は慎太郎に尽くそうとするエピソードが紹介されるのですが、それには理由があったと慎太郎は分析しています。まだ二人が幼かった頃、北海道から神奈川の湘南に引越し、あまり地域になじめていなかった慎太郎は、学校帰りにいじめっ子にいじめられたことがありました。裕次郎はその現場を通りがかったのに兄を助けようとしなかったらしく、家に帰ってから慎太郎は裕次郎のことを責めたそうです。たった二人の兄弟なのになぜ助けなかったんだ、と。 そのことをずっと気にしていた裕次郎が、大人になって埋め合わせをしようとしたのではないかというのです。でも、私はどうなのかな?とちょっぴり疑問に思います。他人がとやかく言うことではないでしょうが、この幼い頃のエピソードは、慎太郎の心に引っかかっているほど、裕次郎の心には引っかかっていないのではないかと考えるからです。そうは言っても、早くに父を亡くし、共に苦労をしてきた兄弟の絆は強く、裕次郎には裕次郎だけにしかわからない、忘れられない兄への負い目のような気持ちがあったことは確かな気がします。一家の若い大黒柱としてしゃんとしなければならない兄の横で、裕次郎は自由に湘南の海を遊びまわっていたそうですから。でも、そういう裕次郎を見ていたからこそ、慎太郎は「太陽の季節」のような小説が書けたともいえるのですから、二人は切っても切り離せない関係だったのですね。

あと、もう一つ、裕次郎がとても子どもをほしがっていたということも、物悲しく心に響きました。裕次郎は慎太郎の三男が特にお気に入りでよくひざに乗せて遊んだりしていたそうです。あるとき「叔父さんのところに養子に来るか」といい、慎太郎も、「それはいいな」と言っていたところに、三男くんが「養子って何?」と尋ね、説明を受けると、「ぼく養子になんてならない!」といって、急いで裕次郎のひざから飛びのいたそうです。そのときの裕次郎の悲しそうな顔が忘れられないと慎太郎はいいます。もし、子供がいたら素敵なパパになったでしょうね。

良いところだけを取り上げて書かれた部分もあるかもしれませんが、この本を読んで、類まれな才能を幸運を持った、すばらしい兄弟だと思いました。

かたや、作詞家のなかにし礼兄弟。こちらはまたすごいんです。この本、帯に「兄さん、死んでくれてありがとう」というなかにし礼さんの言葉が書かれているのですから。一体どういうことなのかと思いますよね。そんな兄弟、いるのか、と。なかにし礼のお兄さんは、戦争から復員した後は一発逆転を狙って、まさにばくち打ちのような人生を送ります。。弟の金を使っていろんな事業に手を出しては失敗し、借金を重ねる日々。なかにし礼は新婚旅行中に石原裕次郎に出会い、仕事を紹介してもらうという幸運などもあり、どんどんヒット曲を出すのに、もうけは全部借金の返済に消えてしまいます。兄は厄病神だとわかっているのに、兄弟の縁を切れない、人間の業に、なんともいえない感覚を抱きます。わかるような、わからないような。。。兄弟とは、そういうものなのですね。近いからこそ遠い。好きだからこそ憎い。血のつながりというのは時としてやっかいなものです。 こちらも読み応えがありました。

そういえば、この4人に共通のことがあると気づきました。

4人とも、お父さん不在なんです。桜井さんのお父さんは手広く事業をしていて家には戻らない人。あとの3人のお父さんは若くして亡くなっています。お父さん不在で苦労した人は、ひとかどの人物になる確立が高いのですかねえ。


全部面白かったです(江角さんの本以外(小声)、でも江角さんは好きよ~)

by oakpark | 2014-02-05 00:14 | | Comments(2)