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複雑な思い   

私の住んでいる神奈川県では、徐々に人々の生活も前の状態に戻りつつあるようです。 心配だったガソリンも、昨日はじめて満タンにすることが出来ました。でも、トイレットペーパーやティッシュ、牛乳、カップ麺はまだ品薄状態です。スーパーやコンビニ、レンタルビデオショップでは照明を通常の半分くらいに落としています。街全体で節電に励んでいます。 こういう状態ではディズニーランドも営業を再開しにくいだろうし、東京ドームのでの試合もしにくいでしょうね。 私も地震の前と後では変わりました。

たとえば、、、、
●寝るときはパジャマではなく下はくジャージをはくようになった。(いつでも外に出られるように)
●長時間外出するときは水とビスケットを持って出るようになった。
●春めいてきたけれど薄着になれない。(3月11日に寒い思いをしたから)
●余分な電気はこまめに消す。

地震の報道を見たり読んだりしているといろんなことを感じる。そして相反することを同時に感じだりする。人間って複雑な感情の持ち主だなあと改めて思います。
たとえば、、、
●テレビでニュースをずっと観ていると気持ちが沈む。でも消していると、しばらくするとニュースを見ずにはいられなくなる。
●世界中の人が日本のことを心配し、募金活動やら支援活動が始まっているらしい。うれしいと思うと同時に、悲しいし、悔しいと思う。
●世界が日本を支援しようとしている一方で、日本産の製品の不買運動も起こっているのは悲しい。
●外国人が日本を脱出している。仕方がないと思う一方で、残っている外国人はえらいと思ったりもする。
(先日、インターFMの’Dave from Show’のデイブさんが飲み屋で二人連れのイギリス人女性に「帰らないの?」と声をかけると「まさか!ここが私たちのホームよ」と言われ、思わずハグしたと言っていた)
●せっかく実家が関西なのだから、子供たちを関西に避難させたいと思う一方、自分たちだけが安全なところに行ってもいいのか、と思ったりもする。
●テニスをしたり映画を観たりといった、、元通りの生活に戻りたいと思う一方で、まだまだ不謹慎だと思う自分もいる。

いろいろ思うところがあるわけですが、私自身は、3月中は「喪に服する」気持ちですごし、4月から徐々に元通りの生活に戻していきたいなと思っています。もちろん節電はずっと続けるつもりですが。

by oakpark | 2011-03-25 23:00 | 雑感 | Comments(2)

今日の出来事③   

日付は変わってしまったけれど、3月18日の出来事を書きます。

今日は次女の小学校の卒業式だった。6歳年上の長女の入学式のとき、着物姿の私のひざの上に乗っていた赤ちゃんだった次女。今では身長165センチ強、靴のサイズ26センチの大女になった。大女の宿命か、少し猫背気味に入場してくる次女を見ながら、これで私の、12年続いた「小学生の母」時代が終わるんだなあと感慨深かった。だからかな、今日一番うるっときたのは、昨日紹介した、小学生が歌うにはちょいむずかしいのにがんばっていた「春に」でもなく、言わずと知れた名曲卒業式ソングの「旅立ちの日に」でもなく、この小学校の校歌だった。5年生の代表の子が、「では最後に、一緒に校歌をうたいましょう!」という言葉に続いて12年間聞き続けた校歌を子供たちが歌いだすと、あ~、これで本当に「最後」なんだなあ、と思った。
式が終わると、校庭に出て、お世話になった先生や、仲の良かった友達を見つけては一緒に写真を撮った。こういうとき、やっぱり、女の子は華やかでいいなあと思う。うちの子はまあ、どっちかというと地味めだけれど、華やかな顔立ち、華やかなお洋服、華やかな笑顔の友達と並んでいるところにカメラを向けると、こちらまで華やかな気持ちになり、暗いニュースのことを一瞬忘れた。

家に帰り、しばらくは放心状態だった。なんだかんだいろいろあったけれど、とにかくこの卒業式を乗り越えなければと思っていたので。しばらくボーっとテレビをつけていると、ちょうど一週間前の2時46分が、地震の起こった時間だと言っている。そういえば、それくらいだったなあ。テレビ画面に映る被災者の方々と一緒に黙祷をした。

夕方近くなり、そういえば今日は夜に「計画停電」がある日だと思い出す。何時からだったけなあ。学校からプリントももらっていたけれど、字が小さくてよく見えない。6時半だったか7時だったか。 でも、今日はこれまでのところ予定されていた停電が行われていないようだから今回も回避されるかも。この「計画停電」って本当に読めないのですよ。全対象世帯が5つのグループに分かれていて(うちは第5グループ)、どのグループがどの時間帯かが一応決まっているのだが、電力供給量が足りている場合は実施されない。たとえば10時から実施となっていても、10時から始まるわけではない。で、ああ今回はないんだなあ、と安心していると、11時から始まったりもする。何の前触れもなく突然始まる。

実は今日もそうだった。 次女の塾の時間が迫っている上にに私も疲れていたので、家族全員が好きで簡単なやきそばと冷蔵庫に残っているおかずの残りで夕食にすることにした。大人(というか大人サイズ)5人分のやきそばといえばかなりの量だ。いつも使う中華なべではなくて、きょうはホットプレートを使おう。。。と思ったのが間違いで、油を引きニンニクを炒め、豚肉を炒めはじめたときに、突然パタッと電気が切れた。時間は6時半頃。 一瞬何が起こったのかわからないくらいの突然さだった。同時に使っていたコンロの灯を思わず消してしまったほど。地震じゃないんだから消す必要ななくて、むしろその明かりがありがたいと気づき、すぐに付け直す。ほんと、真っ暗。そばにいた長女と次女が「懐中電灯はー??」と叫ぶ。 「そのへんー」と私も叫び返す。ちゃんと置く場所を確認して於けばよかった。 まず一つ懐中電灯をつけ、ほっと一安心。 暗いと心細いですね~。 そしてその他の懐中電灯もつけようとするが、節約のためとか言って夫が全部電池を抜いていたものだから、まず電池を入れることからしなければならない。プラスとマイナスの方向を最初の懐中電灯を照らして確認しながらなんとか電池をセットした。すると一番頼りにしていた一番大きな懐中電灯がつかない。こわれているのか。 明るいうちにちゃんと点検しておけばよかった。 長女は、ここのなしか楽しそうにろうそくに灯をともしている。懐中電灯の明かりより、ろうそくの灯のほうが温かくて雰囲気がある。
ラジオをつけ、2階で寝ていた、いつもの通り全く動じない息子も呼んで、4人で食事をした。 しばらくすると、「まっくらやなあ~」といいながら夫も帰ってきた。 信号も外灯も消えるので街は全く真っ暗になる。 こんなとき、女性が一人で歩いていると怖いですね。 自動販売機の略奪とかも、どこか他の国だと起こったりするんだろうか。。 日本人は真面目だという声も聞こえてくるけれど、こういう状態が続くとどうなるかわからない、と思う。 先日もスーパーで怒鳴り散らしている男性を見かけたし、夫も電車の中で言い争いを目撃したそうだ。人々のストレスがたまりつつあるようだ。

停電中は何も出来ない。 子供たちは部屋で音楽でも聴いているのだろうか。退屈なので、懐中電灯の明かりで編み物を始めた。何とか今シーズン中に仕上げたいものだ。 夫はパソコンをしている。夫のは停電中でもインターネットにつなげることが出来るらしい。
2時間後、8時半頃に電気が復活。 やったー! これまた突然、明かりがつき、テレビがついた。いいことでも悪いことでも「突然」って、一瞬心臓がきゅっとなりますね。普段いかに、予測どおり、予定通りにことがすぎていっているのかよくわかりました。

次女を車で塾に送った。信号が消えている大きな交差点では警官が出てきて交通整理をしていた。人はあまり歩いていない。警官のいない信号の消えた交差点はゆっくり注意しながら走った。帰りにあいているスーパーに入ってみた。 いつもの半分くらいの品物の量だ。やはり牛乳はない。お勤め帰りのサラリーマンの表情もどことなく暗い。そういえば、先日地震前に借りていたDVDを返すためにレンタルショップに行ったが、お客さんは少なかった。テレビは地震のニュースばかりだけれど、だからといって無邪気に映画を観る気にもなれない人が多いのだろう。 私もそうだ。 録画してある映画を観ようとしたけれど、なんとなく集中できず、すぐテレビに戻してしまった。

新聞を読むと、涙があふれてくる。何もわからず一瞬のうちに失われてしまった尊い命の多さに愕然とする。
天災はどうしようもないけれど、人災にならないように、今は祈るだけだ。

次女の卒業アルバムに先生がこの歌のことを書いておられた。私も大好きな歌。

by oakpark | 2011-03-19 00:36 | 雑感 | Comments(1)

今日の出来事②   

昨日のガソリンに続いて、きょうは並んで牛乳を2本買った。 絶対おかしいと思う。なんでこんなことになるんだろう。みなさん、買いだめはやめましょう。

停電が2回あった。2回目は夕方で、だんだん寒くなり暗くなり、心細かった。予定では明日は夜に当たっている。2時間ほどだが、どうやって過ごそうかな。

18年前アメリカに住んでいたときに知り合った、イギリス人のジョーが、夫の会社に電話してきてくれたらしい。きっと夫の会社名を覚えていて、一生懸命調べてかけてくれたのだろう。その心遣いがうれしい。
でも、日本のこと、海外ではどのように報道されているのかな。

水を入れることがこんなに難しいとは。 空中からの注水作戦。あれでどれだけ入っているのだろうか。。

作業してくださる方の安全の確保も大事だし、なかなか一筋縄ではいかないのね。

子供たちは退屈そうだけれど、元気。長女と次女は 「エーシー ♪」と、しょっちゅう流れるCMの物まねをしたり、お互いが知っている曲を一緒に歌ったりピアノとリコーダーで合奏したりしている。 長男は大会が近いというのに陸上部の練習が中止になるのが不満らしい。 明日は友人何人かで競技場を私費で借りて練習をすると言っている。 お母さんは先生方と一緒で放射能がこわいんだけどね~。 言ってもきかない。

さて、明日は次女の卒業式。 あまり寒くなりませんように。
長女と次女が合奏していた曲はこれ。


これも。息子も好きな曲らしい。いつか3人で合唱して欲しいな。

by oakpark | 2011-03-17 23:19 | 雑感 | Comments(2)

今日の出来事   

大地震から6日目。 長女の卒業旅行も、次女のミニバスチームの卒業イベントも、私のエルヴィスイベントもすべて中止になった。今週はテニススクールも仕事もお休み。ニュースを見ていてもつらくて気分が沈みがち。 昨日はお天気も悪かったせいもあって何もする気がしなかった。

今朝はお天気が良くなり、ちょっと気持ちも上昇。昨日は自宅待機だった夫も出勤し、風邪でお休みしていた次女も学校に行き、長女はいつものようにまだ寝ていた8時過ぎ、長男からメールが入り「教科書を購入するためのお金を忘れたから駅まで届けて欲しい」とのこと。これから洗濯、というところだったけれど仕方がない。すっぴんでサングラスだけかけて、出来るだけ使わないようにしている車で出かけていった。

途中で、長蛇の車の列を発見。先頭らしきところに目を凝らすと、やっぱりガソリンスタンドだ。なになに?9時半開店。(停電がなければ)1000台分あり、と見えるぞ。これはラッキー。まだ半分くらいは残っているけれど、早いうちに入れておこうと思い、まずは長男にお金を届けた。 そして帰り道。最後尾はどこかと探したら、ガソリンスタンドのあるブロックを一周している。ざっと50台くらいは並んでいるか。まあ、今日は午後に次女が入学する予定の中学の物品販売に行く用事があるだけだから、少々時間がかかっても並ぼう。

順番がきたら満タンに出来るわけだけれど、こういう時節柄少しでも節約だ。待っている間はエンジンを切ろう。ラジオでも聞こうかなと思ったけれど、バッテリーがあがったりしたらしゃれにならん。本をもって来たらよかった。通りを行く人をぼや~っと眺めたり、携帯で友達にメールを送ったりしながら待つこと1時間。9時半きっかりに列が動き始めた。すると、前方の信号がパタッと消えた。え?停電? やるやるといいながら実施されていなかった停電がついに実施されたのか。それにしても、なんの前触れもなく、なんの放送もなくいきなり停電とは乱暴な。 かなりの交通量の交差点だからみんなとまどっているようだ。歩行者はどのタイミングで渡ったらいいかわからない。 遠慮がちの人はなかなか渡れないでいるようだ。誰か交通整理をする人はいないのか。 それより! 停電になったらガソリンは入れてもらえないのではないだろうか。看板には (停電のない場合)と確かに読めたぞ。 せっかく並んだのに~。 でももうしばらく待とう。すると、誰も列から離脱する人はなく、徐々に前に進んでいる。 あとでわかったのだが、ガソリンスタンドのあるブロックは停電になっていなかったのだ。ラッキーだった。

これでやっとガソリンを入れられるぞ。 少しずつ進む列。 ガソリン節約のためいちいちエンジンを止めていたら、動き出したときにスタートが遅れ、前にあいてしまったスペースにトラックが入ってきた。くそ~。クラクションを遠慮がちに(だって怖い人だったらいやだもの)を鳴らす。するとそのトラック、この列がガソリンの列だと知らず、ただ左折するために左によってきただけだったみたいで、そそくさと右車線に出て行った。いい人だ~。これを教訓に私はその後エンジンを止めるのをやめた。ま、順番がきたら満タンになるんだし。ところがすぐ前の人がやはりいちいちエンジンを止めている。しかも車の中でお仕事かお勉強をしているらしく、前の車が動いてもすぐに動き出さないので、すぐにかなりのスペースがあいてしまう。 そんなことをしていたら~。他の車に入られちゃうじゃない!とさもしい気持ちになる私。はやくいけ!とクラクションを鳴らしたくなるのをじっと我慢して並び続けること2時間、やっと順番が回ってきた。わ~い。ついでにお手洗いも貸してもらおうっと。 で、「マンタン」と言おうとしたら、なんと~。『お一人様2000円分でお願いいたします』の張り紙が!遠目で「1000台分」とあったと思ったのは「2000円分」だったのだ~。  2000円分で 13.89ℓ。ガソリンメーターのメモリ一つ半分しか増えなかったよ。でも、でも、被災地に必要なガソリンを供給するためにも私たちは必要最小限で我慢しなくちゃね。と自分に言い聞かせ、急いで帰路につく。早くしないと次女が帰ってくる時間だ。

家につくと、家も停電中だった。洗濯は終わっていたので干すだけだ。放射能が心配だから今日は中に干そう。今日の昼食は、備蓄用に買っておいたカップラーメン。 ガスは使えるのでお湯を沸かすだけでいいし。午後から中学校に行かなくちゃ行けないから時間もないしね。 長女、次女、私でカップラーメンを食べた。停電が終わるはずの1時を過ぎても電気がつかなくて、少し前に起きてきたらしい長女はお冠。「なんで電気つかないの! ちゃんと時間を守って欲しいんだけれど!」 食事をしながら音楽を聴きたいと思っていたらしい。この長女、この春は大学には落ちるは、地震や停電の影響で予定していた遊びがキャンセルになるはで、全くついていない。よって、一触即発の機嫌の悪さだ。家族の誰も近づこうとしない。でも、本人曰く、外ではとっても良い人らいし。ほんとかな~。 で、1時を過ぎても電気がつかなかったのは東電さんが悪いのではなく、私がブレーカーを落としていたからだった。だって、これもやはりどこかで、「停電中はブレーカーをおとすべし」と書いてあったように思ったんだもの。 1時15分頃にこの事実に気づき、ブレーカーをあげると無事電気が戻ってきた。長女は・・・・笑っていた。よかった。停電中の便座はとっても冷たい。

さて中学校に行かなくちゃ。何を着ていこう。放射能が心配だから、洗える服。もっと言えば捨ててもいい服にしようっと。今朝の朝日新聞の『被爆をどう防ぐ』という記事の中で「(帰宅時は)服を着替え、脱いだ服はポリ袋に入れて口を縛る」とあったし。でも、ここで質問。ポリ袋に入れた服はその後どうすればいいのでしょうか。ポリ袋に入れたままずっと置いておくの?それとも捨てるのかな。同じことをテレビでも言っていたけれど、やはり「・・・・・・・・・口を縛る」で終わっているのですよ。誰か教えてください~。

次女と二人で中学まで歩き始めたけれど、あまりにも風が強くハードコンタクトの私にはつらすぎる天候。家に戻ってめがねに変えた。友達との待ち合わせ時間に間に合いそうになくなり、車で行くことにした。歩いて15分くらいの道のりだけれど、今日はあまり歩きたくない気分だし。放射能も怖いし。 中学校の近くにドラッグストアの大きな駐車場があるけれど、学校からのプリントにもそこには停めないようにとあったな。正直者の私は少し離れたところにある有料駐車場(最近多いですよね)に停めました。20分100円。 中学の通学バッグと体操服と上履きを購入。風が本当に強い。大丈夫かなあ、放射能。


友達情報で、明日は近くのガソリンスタンドが9時から開店するらしい。 もう少しないと心配だから朝から並ぼうかな。そしてその後は、しばらく手に入っていない牛乳をゲットするためにスーパーに並ぼう。

それにしても、なんで、こんなことになるの?
マスクのときもあっという間になくなったし。 大衆心理って不思議だ。。。


外国人もどんどん国外退去しているらしい。そりゃそうだわな。もし私が日本に住む外国人でも同じことを考えると思う。 そんな中、まさに地震のあった3月11日に来日したシンディ・ローパーが予定通り東京公演を行うらしい。親日家なんだそうだ。今度の震災で傷ついた人々の心を癒して欲しい。


スポーツ選手もそれぞれメッセージを発している。今朝の新聞のスポーツ欄にはインテル・ミラノの長友選手が「離れていても心は一つ  You'll Never Walk Alone」と書かれた日の丸を掲げた写真が載っていた。またこの曲が聴きたくなった。曲もいいけれど歌詞がいいんだよね~。やっぱ、エルヴィスで。 二つ目のフレーズ、エルヴィスは head up って歌ってます。どっちが正しいのか知らないけれど。

by oakpark | 2011-03-16 20:47 | 雑感 | Comments(0)

皆さんのすむ地域はいかがでしたか   

昨日の地震はすごかったです。もうこれまでか、と思い青ざめました。12日3時20分現在、長女がまだ帰宅できずにいますが、全員無事の我が家です。

地震のあった、11日の午後三時前、私はこの日記にもよく書いているカルチャーセンターの講座を受けていました。横浜のビルの8階でした。「若者文化(Youth Culture」の三回目で、『サタデー・ナイト・フィーバー』の授業の終盤でした。少しずつ揺れが来て、本格的に大きく揺れはじめ、危険を察して教室から出ました。一人の方の、「こういうときは端のほうがいいよ」という声に導かれ、エレベーターのある方向に行き、そこで恐怖のあまり座り込みました。とっさに近くにあった椅子の下に頭を突っ込みました。 かなり長い間横揺れがあり、いろいろなものが倒れ始め、身体が硬直し言葉も出ませんでした。 しばらくして少し揺れが収まり、教室に私物を取りに戻り、講座のほかの皆さんと一緒に待機することにしました。 余震がなかなか収まらず、時に突き上げるような縦ゆれもあり、本当に怖かった。 館内放送の「このビルは安全ですからご安心ください」の言葉に少し落ち着き、指示があるまで8階にとどまりました。地震から30分ほど経過し、スタッフの指示に従って階段から下に下りました。

電車は止まっているだろうと思いましたが、しばらくすると復旧するかもと思い、乗るはずの私鉄の駅の近くでしばらく待ちましたが、これはタクシーに乗るほうがいいかもと思い、タクシー乗り場に行くとすでに長蛇の列。やはり電車が復旧するのを待とうと思い、駅構内に戻りました。長丁場になると思い、水とパンを買うために売店を探すと、キオスクも長蛇の列。ここはあきらめず、何とか並んで食料は確保しました。横浜だから飲食店はたくさんあるのに、すべてのお店が早々と閉店し、食料を買える店がほとんどありませんでした。しばらくすると、「今日中の電車の復旧はありません、歩いて帰れる人は歩いて帰ってください」という館内放送があり、そんなばかな!と思いながらタクシー乗り場に急ぎました。すると、列が最初に行ったときの3倍ほどの長さになっていました。でも、これしか帰宅の方法がなかったので並び始めました。これが5時くらい。家族は、次女は小学生で友人が引き取ってくれ、長女はディズニーランドに足止めされ、長男は、なんとこの日が誕生日だというのに、学校で泊まることになりました。夫は出張先の名古屋から帰れず、名古屋のホテルに泊まることになりました。 とにかくこの時点で携帯がなかなかつながらず、本当に心配しました。

タクシーの列は遅々として進まず、寒くて寒くて倒れてしまいそうでした。近くに並ぶ人と交代で暖を取りに列を離れては戻りを繰り返しました。横浜という大きな駅なのに、人ごみを整理する職員、あるいは警官は、なかなか出てきませんでした。たとえばタクシーを待つ列を地下街に伸びるように指示してくれる人がいればよかったのに。お年寄りや、幼いお子さんを連れた方は本当につらそうでした。 がんばっていたのが東急リバブルの営業所でした。事務所にある電話をすべて、無料で貸し出してくれ、携帯の充電もさせてくれました。若いスタッフがきびきびと対応してくれて、とてもありがたかったです。 そのとなりにある、東急系のホテルもロビーを避難所に開放してくれていましたが、スタッフがちょっと不機嫌そうでした。こんなときに、温かい飲み物を配るとかの対応をしてくれた、とっても助かるし、またそのホテルに対する印象もアップするのに。 

待てど暮らせど順番は来ず、こうなったら朝の4時までがんばったメンフィスでのヴィジルだと思って乗り切ろうと言い聞かせましたが、あの時と違って寒さが半端じゃなかったです。しかもこの日の私は、「今日はちょっとがんばって春らしい装いにしよう」などと気まぐれを起こし、薄着だったのです。 もう耐えられないと思い始めた夜の11時ごろ、まず最初に相鉄線が動き始め、少ししてから、東急東横線、そして横浜市営地下鉄が動き始めました。私は地下鉄と東急線を乗り継ぎ、夜中の1時半ごろに帰宅できました。 JRは最後まで動かなかったようです。

もうしばらくは外出するのも怖い感じです。
近くの公園で少年野球のチームが試合をしていましたが、よくそんな気分になれるなあ~、と思ってしまいました。 地震って、そのときに自分が出会った状況によって、感じ方がずいぶん違うものです。 阪神大震災のときもそう思いましたが。

今日の午前中、トイレットペーパーを買いにドラッグストアに行くと、水やら食料品をを買いに来た人たちであふれていて、私もついついいろいろなものを買ってしまいました。

電気が供給できなくなって停電になるかもしれないという噂もあり、今夫は、懐中電灯を買いに行っています。長女がまだ帰宅しないので心配。

本当に地震は怖いです。

by oakpark | 2011-03-12 15:51 | 雑感 | Comments(6)

19歳   

携帯電話を使ってカンニングをしたとして、仙台市に住む19歳の予備校生が逮捕され、京都の川端署に移送されている映像がテレビに映った。 同じ受験生を持つ親として、なんちゅーやつや、けしからん、と思っていたが、この映像を見て少しかわいそうだと思った。極悪犯人並に世間の注目を浴び、さらし者になってしまって。
19歳といえば、本格的な大人の世界に踏み出していく前の、わくわくどきどきのとっても素敵な年齢なのに。

ニュージーランドでは、19歳で突然命を絶たれた日本の若者がいる。生きるために足を切断せざるをえなかった19歳もいる。 つらい19歳だ。


実は、私、19歳という年齢が好き。19という数字になんとなく惹かれる。1か19でしか割れない素数。ちょっと中途半端な感じ。17もそうだけれど、17はもっと明るい感じがするでしょ。19はなんとなく暗い。でもそこがいいな。

自分の19歳は楽しかった。 いろいろと新しいことに出会った。だから印象がいいのかな、19歳って。 世間の人たちはどんな19歳を送っているのだろうか。

明日、長女の高校の卒業式。 高校ではいいことも悪いこともあったみたいだけれど、一応これで一区切り。世間的に求められる必要最低限度の学業は修めたことになる。ここからはもう自分の力次第だなあ。幸せになるためには。  親の私はただ少しはなれたところにいて応援するだけ。

昔、この曲が好きでした。ふと思い出しました。 こういうことがあったわけではないけれど、この曲に出てくる人の初々しい気持ちがよくわかるなあ~と思ったし、なんとなく、聞いていて気分の良くなる曲だった。


明日は寒そうだなあ。

by oakpark | 2011-03-03 23:39 | 雑感 | Comments(4)

「くよくよするなよ」 Don't Think Twice, it's all right   

美しい人の訃報です。

私の大好きな曲、ボブ・ディランの「くよくよするなよ」(Don't Think Twice, it's all right)が入っているアルバム、『フリーホィーリン(Freewheelin')』のジャケット写真で、ボブ・ディランの腕につかまり微笑むかわいい人、当事のボブ・ディランのガールフレンドで、「くよくよするなよ」をはじめ何曲かにおいてボブ・ディランにインスピレーションを与えた、ボブ・ディランのミューズだった女性、スーズ・ロトロさんが2月24日に67歳で亡くなったらしい。
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 このアルバムとの出会いはこちらに書きましたが、とにかく大好きな写真なのです。構図といい、色合いといい、二人の身体の動きといい。ボブ・ディランのほうが、少し恥ずかしそうな表情でうつむいていて、スーズさんは幸せそうな笑顔。彼の腕にしっかりとつかまって心も身体もあったかそう。この写真を見て私が思ったことは、こういう瞬間が、誰にでも長い人生の中一度は必要だってこと。そして、一度でもこういう瞬間があったら、その思い出を大事にしまいこみながら、現実の人生を正しく歩んでいけそうな気がするってこと。見ているだけ幸せな気分を味わわせてくれるパワーのある写真だなと思う。

この写真が撮られた1961年当事、ボブ・ディランは20歳で、スーズさんは3歳年下の17歳だったそう。年下だったけれど、社会運動に熱心な両親の元で育ったスーズさんのほうが精神的に成熟していて、ボブ・ディランにいろんなことを教えたそうだ。その後、どんどん有名になっていったボブ・ディランの付属物のような存在になるのを嫌ったスーズさんは徐々に離れていったそう。でも、彼女の存在はきっと、その後歴史に残る偉大なアーティストに成長したディランにとって、忘れがたいほど大きかったに違いない。そして彼女の笑顔は東洋の小さな国で平凡な人生を歩むこの私にも強い印象を残してくれた。この世にすばらしい足跡を残したスーズさんのご冥福をお祈りしたいと思います。紹介するのはもちろん「Don't Think Twice, it's all right」。ボブ・ディランがスーズさんのことを想って書いた曲だそう。 軽快で物悲しげなギターの前奏が始まったとたん、心にさざなみがたつような感覚に襲われる不思議な魅力のある曲。


この曲が流れる、『恋のドッグファイト』の私の一番好きなシーンがあったらよかったのだけれど。でもこのシーンもいいの。トレイラーはこちら

そうそう、この曲をエルヴィスが歌っているけれど、なぜかカントリーっぽくなっちゃう。さらに軽快で明るい感じ。でもこれはこれでいいかも。名曲です。こちら。きっとエルヴィスはボブ・ディランが好きだったと思う。他にも 「Tomorrow is a long time」や、「Blowin' in the Wind」を歌ったりしているから。

私にとって、すごく好きってわけではないけれど、なんとなく気になるボブ・ディラン。 今は『ボブ・ディランのルーツミュージック」という本を少しずつ読んでいます。それと20歳のときに出演したラジオ番組がそのまま収録されているというCDをアマゾンで注文しました。ちょっと楽しみです。

by oakpark | 2011-03-01 00:39 | 好きな曲 | Comments(0)