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今年の成績です(映画と本)   

2009年も暮れようとしています。来年は2010年。きりの良い年ですね。2000という大台に乗っていろいろ大変だと大騒ぎしていたときからもう10年も経つと思うと、時が流れるのは本当に早い。一年、一年をじっくりと噛み締めながら過ごしていきたいものです。

さて、今年の成績です。観た映画はちょうど80本、読んだ本が44冊でした。

例年に比べて映画の本数が少ないです。ただ今年は、邦画も結構観ました。映画館で邦画を観るなんて25年くらい前に観た「連合艦隊」以来じゃないかしら~。次女が5年生になり、長女を含めて我が家の女組3人で映画を観ることも何度かありました。今日観た映画は、「のだめカンタービレ最終楽章」です。子どもたちは食い入るように見ていましたねえ。

毎年同じことを言っていますが、本はもっと読めたはず。読もうと思って積み上げている本が同じくらい(あるいはもっとたくさん?)ありますからねえ。 いろいろと興味は湧くのですが、なかなか集中力が続かないのですよね。家で読んでいると、すぐ、他のことが気になったりするし、外出時に電車の中で読んでいるとすぐ眠くなってしまうし。来年はもっとたくさん本を読みたいです。

さて、話は変わりますが、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第一部が終わりました。第2部の放映は来年の12月だそうです。遠いなあ。私、このドラマのメインテーマソングがとっても気に入っています。いくつかバージョンがあるようですが、先日観た放送回で流れていた、弦楽器中心のシンプルなバージョンがよかったです。気分が高揚してくるような、明るい未来を予感させてくれるような、前向きで、とっても美しいメロディーです。作曲は久石譲さん。こんな曲です。


番組中の渡辺謙さんのナレーションもすばらしいです。こんなに良い声をされている俳優さんだったのですね。抑揚のつけ方が絶妙なのです。オープニングの「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。」 という言葉に、感動すら覚えました。 ドラマのナレーションに感動するなんて今まであまりなかったです。

そういえば、私の母が今この「一朶(いちだ)の白い雲」という表現にはまっているんだそうです。空に雲を見つけると、「あ、いちだの雲がある!」と言っては喜んでいるんだそうな。 この場合の「雲」は「暗雲たれこめ、、、」のような悪い雲ではなくて、「希望」とも「生きる道」ともとれる良い雲ですね。私も私の「いちだの雲」を見つけたい。

感動といえば、先日のフィギュアスケート女子の熾烈な争いにも感動しました。戦いから一夜明けて、笑顔でエキシビションに出場している姿にも。インタビューでの受け答えも皆さんまじめです。何かを成し遂げる人たちって、本当にまじめでひたむきですね。若い人から学ぶことも多い。

来年もたくさんのことに感動したいです。来年が良い年になりますように!!

by oakpark | 2009-12-31 00:09 | 雑感 | Comments(8)

クリスマスソング2009   

というわけで、クリスマスの夜も更けていきます。

今年も巷ではいろんなクリスマスソングが流れていましたね~。 夫など「どこ行ってもクリスマスソングばっかりや。クリスマス嫌い」な~んて言っていました。スポーツクラブのプールで、クリスマスソングが流れると、泳ぎに力が入らないんだそうです。

でもやっぱりいいですよね、クリスマスソング。皆さんのお気に入りは何ですか? というか、今年一番印象に残ったクリスマスソングは? 私は、たまたま今日の夜、次女をバスケに連れて行く車の中で聞いたクリスマスソングに、ぴぴっときました。やっぱりいいな~って。めちゃめちゃありふれているのですが、ナット・キング・コールの「ザ・クリスマスソング」 ゆったりとおおらかに歌い上げるクリスマスソング、素敵です。幸せな気分にしてくれる歌唱だなあと思いました。


この曲、ナット・キング・コールが有名ですが、もともとのオリジナルは メル・トーメというジャズ歌手なんだそうです。こちらも素敵です。

もちろん、自宅ではエルヴィスのクリスマスソングも聴きましたよ~。あ、自宅以外でも一度だけ耳にしました。 近所の本屋で、子どもたちのクリスマスプレゼント用の本を選んでいるときに、エルヴィスの「Here Comes Santa Claus(サンタクロースがやってっくる)」が流れました!有線だったのかな。うれしかったです。音が小さくて聞こえにくかったけれど、しばし足を止めて耳を澄ませましたよ。いちおう これ

さて、明日からは年末ですね。

by oakpark | 2009-12-25 23:32 | 好きな曲 | Comments(2)

ついに終わった   

私のサンタがついに終わった。 毎年毎年、24日の深夜にツリーの下にプレゼントを置く作業、大変だった。小5の次女に「今年はもうサンタさん来ないらしい」とさりげなく言うと、次女はにやっと笑って「わかったよ」といいました。やっと終わった。ちょっぴりさびしいけれど、ほっとした。ほんと大変だったよ15年間。

でも、15年間も続けられたのは、子どもたちの喜ぶ姿が楽しみだったから。25日の朝、目を覚まし、布団の中で「サンタさん来ているかなあ」と不安そうに言い、意を決してツリーに走り寄る姿。プレゼントを見つけて歓声を上げる姿。今思い出しても、涙が出そうになるくらい、かわいかった。

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それが今じゃ、全員私の身長を超えちゃった。 サンタさん?何寝ぼけてんの?ってかんじです。

でも、名残惜しくて、今年もプレゼントを用意しちゃいました。ツリーの下には置かないけれど。長女には、本とジャスミンティーのティーバッグ。 長男には、本とキシリトールガム5個。次女には本とポッキー。本は私が勝手に選び、それ以外は本人が好きなものにしました。 明日渡してやろう。

by oakpark | 2009-12-25 00:55 | 雑感 | Comments(2)

小学校での本読み   

小5の次女の小学校に「朝の本読み」に行ってきました。
読んだ本は、壺井栄の「二十四の瞳」です。最初は川端誠の落語絵本「おにのめん」で、久しぶりに大阪弁を爆発させてこようと思ったのですが、次女の「そんな子どもっぽい本はいやだ」の声でぼつになり、宮沢賢治の「よだかの星」とどっちにしようか迷いに迷ったあげく、自宅で音読してみて会話が多く読んでいて楽しい「二十四の瞳」のほうにしました。

この、小学校での父兄による「朝の本読み」ですが、長女が小2のときに、同じクラスのあるお母さまの提案で始まりました。当事、クラスの雰囲気がぎすぎすしていると感じられたそのお母さまが、本読みで朝の穏やかなひとときを持つことによって、思いやりのある温かいクラスになればいいなあと考えられて提案されたと記憶しています。開始からかれこれ10年が経つわけですが、最初のころこそ、多くのお母様がたたちが参加され、わが小学校の名物イベントのようになっていたのですが、最近では本を読んでくださるお母様方が減少してきて、立候補ではなかなか人が集まらなくなってきていました。

実は私も、しばらくずっとやっていなかったのですが、今回はどうしてもと頼まれ、引き受けることになってしまったのでした。高学年の本読みは特に難しいです。長男が5年生のときは重松清の「きみの友達」を読みましたが、退屈そうにしている男の子たちもいましたっけ。

だから今回は、子どもたちにあわせるのではなくて、自分が読みたい本、あるいは、自分が子どもの頃に好きだった本を読みたいと思っていました。大阪弁の「おにのおめん」が却下されたあと、自分が小学生の頃に好きだった本を思い浮かべました。「いやいやえん」(これはさすがに幼すぎるだろうな)、「次郎物語」、「エーミールと探偵たち」、「スプーンおばさんの冒険」などなど。小学生の頃はバスに乗って(大人料金30円、子ども料金15円だった)、週一度ペースで大きな図書館に通っていました。 少し薄暗くて、近寄りがたい雰囲気の図書館が、なんとなく好きでした。ここにくると、ちょっぴりえらくなったような、大人になったような気分になったものです。小学3,4年のときの担任の先生が国語に力を入れていた先生だったので、この頃一番よく本を読んでいた気がします。夏休みの課題図書のタイトルも覚えているな。「リコはおかあさん」とか、「千本松原」とか。その先生を尊敬していた母も、背伸びして文学少女を気取り、高村光太郎の「智恵子抄」を一緒に読んだりしましたねえ。「東京には空がない。。。。」という詩(?)が衝撃的でした。

今回、何を読もうかなと考えたときにまず浮かんだのが「よだかの星」でした。子どもの頃、このお話に感動し、力作の読書感想文を書いた記憶があるのです。そのときの私と同じ年頃の小5にはきっと受けるはずだと思い、再読してみたのですが、不思議なことに今回はちっとも何も感じない。あれ、これだけだっけ?というのが最初の感想。外見がみにくいよだかが他の鳥たちにいじめられ、鷹には名前を変えろとまで言われ、自分は悪いことは何もしていないのに、どうしてこんな目にあうのだろうと悩む。そして空に助けを求め、高く高く飛び続け、最後は星になるというお話。だから?あ~いかん、いかん。子どもの頃の感性を失ってしまっている。きっと、この文章、この言葉の中にこそ、宮沢賢治の描く美しい世界観が反映されているはず。な~んて思うのですが、やはりどうしても感情移入できず、今回は「朝の本読み」に採用するのはあきらめました。でも、本当はいい話なんですよね、きっとそのはずです。。「よだか」なんて鳥がいることを知ったのもこの話のおかげ。宮沢賢治の小説には、いろんな不思議な生き物が登場しますよね。ほんと、不思議な世界です。
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で、そのかわりに思いついたのが、やはり子どもの頃に大好きで、その後大人になって映画を観て、涙涙で感動した「二十四の瞳」でした。ちょうど二日前が太平洋戦争開戦の日で(本読みは12月10日でした)、この物語に登場する子どもたちが、戦争中は20代前半の若者盛りになるということを説明すれば、物語の舞台になった時代を感じてもらえるだろうし、小豆島は私の両親の生まれ故郷の大三島と同じ瀬戸内海の島でもあるわけだから、島の美しさも説明できるかなと考えました。同じ日本で、こんなに貧しい時代もあったことも今のこの子達に伝えたいし。この小説で、一番印象に残っているのは、アルミのお弁当箱が欲しいのに買ってもらえない女の子のエピソード。先生がその子にお弁当箱をプレゼントしてあげるシーンでは涙があふれましたっけ。戦争で失明し、クラスメートの写真を指でなぞる男の子もいたなあ。時代に翻弄されたいたいけな子どもたち。。。

というわけで、当日は中国地方の地図の拡大コピーで小豆島の位置を示し、時代についても少し語ってから本を読み始めました。時間がなくて、ほんのさわりの部分しか読めなかったけれど、会話部分は出来るだけ楽しげにがんばって読みました。方言も私にはそれほど違和感はないので、がんばって強調しました。。「二十四の瞳」の時代と今とでは違いすぎるけれど、学校は楽しいところだ、友達がいて、先生がいて、知らないことに触れることが出来て、おこられたり、ほめられたり、けんかしたり、いろんなことが起こるけれど、自由でいられる楽しいところだと、みんなに知ってほしいなあと思いました。最近の子どもたちは、塾とか習い事とか忙しいけれど、やはり、基本は学校。学校を楽しまなくちゃ、と思いますもの。私の思い、どれくらい伝わったかしら。

次女が帰宅後に言った第一声は「けっこうみんなよく聞いていたね。おかあさん、あんな地図いつ用意したの?」でした。次女の話から推測するに、お話の内容より、私が小道具を用意していたことにみんな驚いたみたい。でも、反応は悪くなかったようなので気をよくした私、「よ~し、来年は大阪弁の本を読むぞ!」と言うと次女は「え! 来年もするの?」といやそうでした。

ちなみに小説も良かったけれど、美しく映像化された映画もよかったですねえ。私が観たのは、高峰秀子主演の一番最初のもの。「でこちゃん」というあだなだったそうですが、高峰秀子がかわいかったです。子どもたちもみんな熱演でした。お薦めの映画です。
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by oakpark | 2009-12-12 21:25 | | Comments(6)

感動しました! 30年ぶりの再会   

30年ぶりの再会といっても、友人とではないのです。もちろん親族でもない。でも、30年前の私に強烈な印象を残した人。忘れん坊のわたしの、できの悪い脳に30年間居残り続けた人に、昨晩再会しました。しかもテレビの画面の中で。こんなこともあるのですね。こういうわけなんです。。。。

先日NHKのドラマ「坂の上の雲」を観ました。日本が近代国家として歩み始めた、明治という時代に立ち向かった若者たちの壮大な物語らしい。今後の展開が楽しみだなあ~と思っていると、数日後、今度はそのドラマの主要登場人物の一人である正岡子規を、同じくNHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組で取り上げるらしい。早速観なくちゃということで、昨晩10時、万全の態勢でNHKにチャンネルを合わせました。

新聞の番組紹介の欄によると、正岡子規は友人が多く、病に臥せってからも多くの友人に支えられたというエピソードを持つ魅力的な人物らしい。へ~、詩人というとひっそりと、孤独を楽しみながら思索にふけるなんてイメージがあるけれど、そういう人もいたのねえ、と思ったと同時に、正岡子規というと必ず私の脳裏に蘇えるあるシーンがまたまた浮かんできて、「だからだったのかしら~」なんて、合点がいくような気分になったりもしたのです。

そんなわくわく感を抱きながら番組を観始めたのですが、なかなか興味深い内容で、私の持つ詩人へのイメージを覆すエピソードが満載で、大いに楽しめました。親友だったという夏目漱石の若い頃の写真が映り、その美青年ぶりに驚いたり。それに比べて正岡子規はさえない風貌だなあ、なのに、こんなにたくさんの友人に慕われるなんてどういうことだろう、と思ったり。野球を日本に広めたのは正岡子規だったのか、なんて新たな発見もありました。そして、番組の中盤、子規の代表作である「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」誕生秘話のコーナーで、正岡子規研究の第一人者であるという先生が登場し、子規がこの句を奈良で詠んだ時のお天気は雨だった可能性が高い、と当時の古ぼけた気象データを示しながら説明されたとき、ふと30年前の、大学で受けた授業風景がまたまた蘇えってきました。これこそが、「正岡子規」と聞くと、私が必ず思い出すシーンなのです。

あれは大学の教養課程だったと思うのです。私は、10人前後しかいない小さい教室で、確か「国文学なんとか」というタイトルのついた講義を受けていました。「国文学なんとか」という講義なので、国文学全般のお話が始まるのかなあと思って聞いていたのに、先生はどうも、「柿くへば~」で有名な、というかそれしか知らない、正岡子規の話しかしていない。この先、もっと全般的な話に広がるかと思っているのに、なかなかそのような展開にならない。しかも、黒板に〇月〇日に子規が何をした、誰に会ったという「超」がつくほど詳しい年表まで書き始めた。こんなの必要あるのかなあと思いながらも、まだまじめな学生だった私は一生懸命ノートに写していました。講義が進むにつれ、先生の表情は生き生きと熱を帯びていき、私はといえば頭の中にどんどんクエスチョンマークが増えていっていたのです。「ここまで知る必要があるのかしら。。。。」 そして、極めつけの先生のひと言が。ちょっと悲しそうな表情で、「・・・しかし残念ながら、〇月〇日から△月△日までの子規の行動がどうしてもわからないのです」「皆さんの中に知っている方がおられたら、ぜひ教えていただきたいと思います」その瞬間の衝撃といったら!!即、ノートをとっていた手を止めたのはいうまでもありません。こんなん書き取る必要ないやん! このときの衝撃は、いったいどういう種類のものだったのでしょうか。恐怖でもないし喜びでもない、はたまた感動でもない。しいて言えば、ある方向をじっと注意して見ていたのに全く想像もしていなかった方向からふいに頭を小突かれた時(そんな時があれば、のはなしだが)の衝撃に近いのかも。今では大学の教養の授業内容なんてほとんど忘れているのに(あと覚えているのは中国語の授業で『四音』の発音がおかしくて笑いが止まらなかったことくらい。。。)、このシーンを30年間覚え続けたからにはよほどの衝撃だったに違いありません。きっと、私にとって教科書に載っている文学者の一人に過ぎなかった人物のことをここまで愛し、調べ上げている人がこの世にいるということに驚き、大学の授業が高校の授業といかに違うかに驚き、学問の奥深さを思い知った瞬間だったのではないか思うのです。

そして今回「歴史ヒストリア」で正岡子規研究の先生のマニアックすぎる語り口を聞いたときに、あの大学時代の先生かもしれない!とひらめき、すぐに画面に映った先生のお名前をメモしました。大阪成蹊短期大学の名誉教授の和田克司先生。ネットで検索し、先生の略歴を調べてその中にわが母校の名前があるかどうか調べようとしましたが、どうしても先生の略歴が出てこない。それでは、ということで、「謎の1セント硬貨」の向井万起男さんをまねて、失礼になるかもしれないと思いつつ、どうしてもこのもやもやとした気分を晴らしたくて、大阪成蹊短期大学にメールで問い合わせてみました。

すると、なんと、感激したことに、和田先生本人からご丁寧なメールをいただき、確かにその大学で授業を行ったことがあるとのこと。やはりそうだったのか~。あの、情熱、あの熱さは唯一無二のものだと確信しました。でももし、あのときの先生と和田先生が同一人物でなかったら、正岡子規に対して熱い思いを持っている人物が少なくとも二人は存在するんだなあ~と、漠然と考えてはいましたが。繰り返すようですが、そのときの先生の表情まで覚えているのですから、私の中では学生時代の10大事件のひとつとも言える出来事なのです。(いやほんと)

当事はそれほど衝撃を受け、心の中で「そんなばかな!」と半ばあきれ加減で先生のお顔を眺めていた私でしたが、最近では、そういった情熱、細かいことが気になる性分もわからないでもないと、思うようになりました。好きになった人、入れ込んだ人のことはとことん知りたいですよね~、やはり。

つまり、私の場合はエルヴィス・プレスリーなのですが。もちろん私など、和田先生の、また多くのコアなエルヴィスファンの方々の足元にも及びませんが、こういう本があると知ったときは、やった~!と小躍りして喜び(ほんとか?)高額にもかかわらずすぐさま購入したのでした。エルヴィス研究家のピーター・ギュラルニックさん、アーネスト・ヨーゲンセンさん、ありがとう!!と思いました。「ElVIS day bay day」という本で、1935年1月8日に誕生した日から、1977年8月16日に亡くなる日までのエルヴィスの行動が克明に記録されています。どこに行って何をして誰に会ったか。どんな曲を歌いいくらもらったか。買い物にいくら費やしたか。機嫌が良かったから悪かったか、も。きっと、エルヴィスの周りにいた人たちにしつこく質問を繰り返し当時のことを思い出してもらったり、残っている領収書やら契約書やらあらゆる資料を集めて調べ上げたのでしょう。その労力たるやいかに。
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たとえばこのページを見ると、1955年の7月26日から、27日、28日、29日、30日、31日、8月1日から13日まで、移動しながら毎日ショーを行っていたことがわかります。映画「ウォーク・ザ・ライン」のジョニー・キャッシュたちと一緒にツアーを回ったりしていた時代。突然世に出て有名になったと思われがちなエルヴィスですが、こんなに地道に地方を回っていた時代もあるのですねえ。会場を見ると高校の体育館とかが多いです。移動距離も半端じゃなかったみたいです。たとえば、7月26日はフロリダ州のオーランド、27日はジャクソンビルへ。30日にはデイトナに移動し31日はタンパヘ。ここまでたぶん車の走行時間でいうとたぶん10時間くらい。でもそのあくる日の8月1日にはミシシッピー州のテュペロ(エルヴィス生誕の地)へ移動しているので車ではムリだろう~、なんて地図を見ながら考えるのも楽しいのですよね。

な~んて考えていると、和田先生のあの情熱もとっても理解の出来る私です。
和田先生、大学時代の良い思い出をありがとうございます。今後も「正岡子規研究第一人者」としてますますご活躍されることをお祈りしています。なんだか、今後「子規ブーム」が来る様な予感がしますよ。

by oakpark | 2009-12-04 01:38 | 雑感 | Comments(8)