2017年 04月 16日 ( 1 )   

大三島に行ってきた   

末っ子の次女の大学受験も終わり、一息ついたので、愛媛県大三島に住む83歳の両親に会いに行ってきた。本当は次女も連れて行きたかったが、新生活でお疲れの様子。今回は私ひとりの旅だった。

大三島に行くとやることはいつも同じ。母の手料理をいただき、一緒にテレビを見たりしながら近況報告をし、お墓詣りをして、余裕のあるときは大山祇神社にお参りし、食事をしてお土産物を買う。島にはコンビニは2件しかなくて、スーパーは人員不足で日曜は休みだ。両親が幼い頃は子供達がわんさかいたそうだが、今は子供を見ることはほとんどない島。その代わり、しまなみ海道のおかげで、ツーリングをしにやってくる観光客で街の中心部は割と賑わっている。

両親は現在83歳で、肥海村というところに住んでいる。50人いた同級生も今や2〜3人しか残ってないらしい。お墓詣りをしながら、この人とは子供の頃よく遊んだ、いいやつだった、とかそういう話を聞くのが私は結構好きだ。今は髪も真っ白で頼りない感じになってしまった父だが、昔はこの野山を駆け回っていたんだなと思うと楽しくなる。お墓までの坂道はとても急で母はもう上がることができない。祖父母も最後まで墓まいりを続けていたのは祖父の方だったな。

その祖父(母方の。 父は定年後養子に入った)が、ずっと記録していた日記のようなものを今回母に見せてもらった。何年に何を買ったとか、何年に子どもが学校に入学したとか色々書いていたが、母がここは悲しくて読めないと行っていた箇所が、長女の母より14歳下の末っ子の長男が(4人姉妹の後に生まれた)、小学校に上がる直前に、多分腸捻転で亡くなった箇所。それまで淡々と事実だけを綴っていた祖父が、2ページに渡り詳しく事の顛末を記録している。一晩の出来事で、都会で最新の医療を受けたのなら助かったであろう悲劇。「おかあちゃん シンドイ」という言葉を最後に昇天したとある。ひと晩母は亡き子を抱きしめ続けたとある。あのちょっと強面だったおばあちゃんにそんな悲しみがあったとは。幼くして亡くなった叔父さんが存在したということを知ったのは、私が成人してからだった。何度も大三島に行き、何度も叔母さんや祖父母と話もしていたのに、記憶している限り、一度も話に出たことはなかった。それだけ、話すのも辛い出来事だったのだと思う。

そういったことや、村の野山、全ての土地が区画されて持ち主が決まっているという話が興味深かったな。また両親に会いに大三島に行き、いろいろ話をしたい。
お墓からの景色。
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by oakpark | 2017-04-16 17:35 | 日常生活 | Comments(0)