映画「砂の器」と、本「私が棄てた女」   

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「切腹」という映画を観て、丹波哲郎が印象に残ったと日記に書くと、では「砂の器」を観るべしというアドバイスをいただき、先日鑑賞しました。また、前回の日記で話題になった浅丘ルリ子さんが映画版に出演しているということで思い出した、以前に読んだことのある本「私の棄てた女」を再読しました。

「砂の器」と「私の棄てた女」の共通点は、どちらもハンセン氏病を扱っていること。
ハンセン氏病は、当時は悲劇的な不治の病として人々に恐れられていたのでしょうね。

それと、個人的な思い出になりますが、どちらも、20年ほど前に職場の同僚に勧められたものであること、です。そのとき同時に勧められたのが「私は貝になりたい」です。本のほうはすぐに読んだのですが、映画のほうは観ませんでした。当時、ちょっとその人がうっとおしいなあと思っていたこともあるし(すみません!)、映画のタイトルが、あまり惹かれるものじゃなかったから。だって、砂とか貝でしょ。なんじゃこれ?って思いましたもの。カフカの「変身」みたいな話?(読んでないけど)と思いましたもの。「愛と青春の~」とか「栄光の~」とか、もっと華々しいタイトルだったらホイホイ観たかもしれないけれど。。。

でも、こういう作品が好きだったあの人って、実はとても感受性豊かな方だったのだなあ、と今になって(20年後!)見なおしています。これは、「私は貝になりたい」も観なければ!そういえば偶然にも、中居正広主演のリメイク版が公開されるではありませんか。これはぜひぜひ、フランキー堺版を見なければ。。

「砂の器」はおもしろかったです。サスペンスなので、長い映画でしたが、飽きることなく最後まで見ました。ある程度あらすじは知っていたので、クライマックスシーンでは、思ったほど涙は出ませんでしたが、懐かしい出演者の若い頃の演技を堪能いたしました。「切腹」で意外にも渋かった、丹波哲郎さんは、私の知っている雰囲気に近く、ちょっとぬけた感じで親しみが持ててよかった。「俺は男だ!」の森田健作さんは、アイドルっぽい顔立ちでした。私もわりと好きだったな。今出てきても人気が出そうですね(ただし髪形を変えねば)。でも、演技はいまひとつだった。島田陽子さんは清楚な可愛らしさだった。私が子供の頃、松坂慶子と島田陽子が人気があったのですが、その理由がわかりました。声も可愛かった。加藤剛さんは、いかにも『貴公子』という風情でした。サングラスも似合っていた! 緒方拳さんは、人情味の厚い警官役がぴったりでした。あの笑顔が素敵です。渥美清さんも少しだけですが出演していました。
それと、全然知らない俳優さんですが、三森署署長を演じた松本克平という人の演技がうまかったな~。ほんの短い場面だけでしたが、おや!と画面を見直しました。こういううまい人が脇役にいると映画が締まりますよね。


それから、20年ぶりに読んだ遠藤周作著の「私が棄てた女」ですが、もう最初から涙、涙でした~。昔はこんなに涙が出なかったかも。刹那的な大学生の一時の欲望のはけ口として利用されて棄てられた、無知な田舎の女、森田ミツ。でも彼女にとってはその大学生がこの世で一番大切な人になるのだった。しかも、ミツの体に異変が起こる。。。
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遠藤周作はいわゆる『純文学』のジャンルに入る重たい小説と、もっと『通俗的』な軽めの小説を書いているそうで、この「私の棄てた女」は、その気になれば一日で読める、読みやすい小説です。時代は戦争直後で、人々の生活レベルや大学生の地位など、現在とは隔世の感があり、ぴんと来ない部分も多いですが、人類の永遠のテーマである、崇高な『愛』について、深く考えさせられる小説です。

なんとなく、ストーリ展開が似ているように思う、「青春の蹉跌」(石川達三)、「アメリカの悲劇」(ドライサー)も読んでみたいなあ~と思いました。『青春~」は以前に読んだことがありますがもう忘れた。「アメリカの~」は読んだことがなくて、映画版の「陽の当たる場所」はかなり前に観たことがあります。

by oakpark | 2008-11-21 20:52 | 映画

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