原作か映画か 「風と共に去りぬ」   

原作を先に読むか映画を先に観るかでずいぶん印象が変わることがあります。

私にとって一番印象に残っているのが「風と共に去りぬ」です。
この映画は1939年に製作されたのにもかかわらず、鮮やかなカラー映画で、キャストもぴったりはまり、迫力のあるアトランタ脱出シーンなど見所満載で、映画史に燦然と輝く不朽の名作と位置づけられている作品です。今でこそ、この映画の価値が少しはわかる私ですが、はじめて観た時、少しがっかりしたのを覚えています。

なぜなら、先に原作本を読んでいたから。
本を読んだのは中2か中3〈多分中3)の、一番多感な頃で、読み終わってしばらく動けないほど感動し、そして悲しい気分になったのを覚えています。学校でこの本の話しをし、近くの席の友人の一人がやはり読んでいて感想を言い合ったのも、当時の教室の風景と同時におぼろげに覚えています。それほど心揺さぶられた、私にとって記念碑的な小説でしたが、その何年後かに映画を観たときはそれほど感動はしませんでした。ストーリーをすでに知っていたからというのもあるかもしれません。本を読んだときから想像し思い描いていたスカーレットとレットが映像化してしまい、今ではレットといえばクラーク・ゲーブル、スカーレットといえばビビアン・リーの顔が頭に浮かびます。ほぼ予想通りといえば予想通りだけれど、ちょっと違ったといえばちょっと違うのです、実は。映画によってイメージが鮮明になるという良い点もありますが、逆にイメージが固定してしまうというのもありますね。

それと一番違ったのがエンディングなのです。スカーレットが、去っていくレットに対して「行かないで、これからは心を入れ替えていい子になるから」と懇願し、レットが「もう遅すぎるんだよ」というシーン。本を読みながら私は、レットにもう一度あのやさしさを見せて欲しいと願い、でもその願いはかなえられないとわかる、そんなシーンでした。でも映画では、美人だけれど兄弟姉妹も友人も踏み台にし悪事を働くスカーレットにそれほど感情移入できず、別れのシーンもなんだか軽く、ひょいとレットが帰ってきそうな印象を持ち、本を読んだときのようななんともいえない絶望感は感じませんでした。小説は長い分、その間に読者が抱く感情もより深くなる分、最後に来る感動も大きいのかもしれません。 映像の鮮烈さか感情の深さか。 映画と本の違いかもしれません。「風と共に去りぬ」も映画を先に観ていたら、どんな印象を受けたかな、と思うことがあります。

大学の卒業論文の資料にするために原作も読みました。一番気になったのが最後のレットのせりふ。日本語版はどうなっていたかな~。あ~~!あんなに覚えていたのに思い出せない!英語版は今手元にあります。'I don't give a damn'  これはレットが戻ってくる望みがあるのかないのか。ここが一番気になったところ。アメリカ人じゃないとわからないニュアンスなのかもしれない。でもきっと、絶望に近い言い回しなんだろうな~。「どうでもいいんだよ!」ってなかんじか。

で、先日、書評欄で読んだ「テラビシアにかける橋」を読みました。予想に反して児童書で、大人の私はそれほど感じ入るところがなかったのですが、これをどのように映像化されているのか興味がわきました。本の表紙に映画版のキャストの写真がありましたが見ないようにして先に物語を読みました。女の子が想像と違っていました。もっと少年っぽい子を想像していたな。写真で見ると、ちょっと元プロテニスプレイヤーの〈先ごろ引退しましたね)ヒンギス選手に似ていると思った。映画を見るとまた印象が変わるかも。レンタルが始まったら見てみたいと思います。

by oakpark | 2008-03-13 09:06 | 映画

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