映画 「ラスト・ショー」(The Last Picture Show,1971)   

何度かこのブログで書いていますが、カルチャーセンターの映画講座に通っています。大好きだったジェフ先生がお休みされることになり、新しい先生に代わってしまうと聞いたとき、この講座を続けるかどうか迷いました。しかし、最初の講座シリーズに私の大好きな映画「ラスト・ショー」が入っていると分かり、とりあえず続けることにしました。それくら、私の「映画鑑賞史」の中で、存在感のある映画です。アメリカでは有名だけれど、日本ではあまり知られていない映画そうです。
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「ラスト・ショー」 (The Last Picture Show,1971) 監督:ピーター・ボグダノヴィッチ  出演:ティモシー・ボトムズ、 ジェフ・ブリッジス、 シビル・シェパード、ベン・ジョンソン、エレン・バースティン

以下、ネタバレあります。

始めてこの映画を観たのは今から10年前、H13年でした。子育ての一番大変な時期が過ぎ、少し時間が持てるようになり、大量に映画を観始めたころ。 この映画に出会ったきっかけは、リヴァー・フェニックス。 リヴァー最後の出演作品(完成されたものの中で)である「愛と呼ばれるもの」という映画の監督がピーター・ボグダノヴィッチでした。「愛と呼ばれるもの」の解説などを読んでいると、必ずと言っていいほど「『ラスト・ショー』を撮った巨匠ピーター・ボグダノヴィッチ監督作品・・・・」という説明がありました。ボグダノヴィッチ監督は、主演に別の俳優を考えていたけれど、映画中で歌も歌えるということで、リヴァーのほうから出演を希望してきたとか。。。当事すでに人気俳優になっていたリヴァーからの要望にボグダノヴィッチ監督も感激したとか。。。

「ラスト・ショー」ってどんな映画なんだろう~、と興味を持ち、観てみたのです。

そして、とっても気に入りました。何かはっきりしたテーマとか結末のあるわかりやすい映画ではないけれど、映画全体に流れるけだるい雰囲気が好きでした。若者の屈折とか閉塞感とか、そういうテーマも好きでした。50年代のアメリカ の小さな町で起こった、いろいろな出来事。当時はこんな倫理観だったんだなあ、と思ったり。まだ、そんなにたくさん映画観ていなかったせいもあって、いろんなことが新鮮に映り、ああ、映画っていいなあと思った記憶があります。なにより、主演のティモシー・ボトムズの顔が好みだったのかも。ちょっと奥目でね優しい繊細そうなお顔をしているのですよ。さびしげな表情(演技?)がよくてねえ。

今回久しぶりに観て、やっぱりいいなあと思いました。ベン・ジョンソン演じるサムが古い西部劇に出てくるような『アメリカの良心』であり、サニー(ティモシー・ボトムズ)やデュウエイン(ジェフ・ブリッジス)ら若者の父親的存在であるということも、今回観てみてよくわかりました。

大人になりたい、幸せになりたい、お金持ちになりたい、大きな事をしたい。 若者はいろんな思いに振り回され、揺り動かされるけれど、地に足をつけて、自分のこと、周りのことをよく観察して、行くべき道を進むしかないのですね。 若者の無邪気さが、小さな何もないアメリカの田舎町で、シャボン玉のように大きくなっては消えていく様を描いた映画。大人も、過去を引きずりながらも厳しい現実と折り合いをつけながら生きている。必ずしも若者の手本になっているわけではないけれど、生きることの意味についてのヒントを若者に与えているのかな。  そんなことを思いながら観ました。

最後のほうで、高校を卒業したサニーが、新たに入学してきた高校生アメリカンフットボール選手やかわいいチアリーダーを見つめるシーンがあって、これからまた同じことが起こっていくんだろうなあと予感させてせつない。自分の将来に不安を抱き、よりどころを失ったサニーが足を向けたのは、しばらくの間関係を持っていたのに、美人のジェイシーに誘われたことで冷たくしてしまった、年上の女性ルース。 ここが私としてはこの映画で一番じ~んとしたところ。

「いまさら戻ってきてもだめよ。私のことなんて何も思ってないんでしょ」と取り乱すルースに、許しを請うように、優しさ、温かさを求める傷ついた子犬のように、黙ってそっと手を伸ばす、サニー。そしてその手を、戸惑いながらもそっと握りかえすルース。 それまでずっと、「車で送ってもらってごめんね」とか「泣いてしまってごめんね」とか、年上女の後ろめたさからか、サニーに対して謝ってばかりだったルースがはじめて、サニーからの無言の謝罪を受け入れ、対等の立場になった瞬間。

このときのサニーの表情がほんとうにせつなくて。名シーンだと思います。

そして思ったのが、人と人との関係において「立場」って大切だなあ、ってこと。

そもそも、サニーがルースとの関係を続けたのは、同い年のクールなデュウェインや美人のジェイシーの前では、自分が劣った人物のように思えて卑屈になってしまうけれど、ルースの前では上の立場でいられたからなのかも。人間にはそんなふうな上下関係がある場合がある。仲のいい友達同士でも。それで均衡がとれて友情が続く場合もあるけれど、均衡が崩れたときが大変。サニーとデュウエインにもそんな瞬間が来た。この小さな’事件’を経験して大人になると二人の関係はどうなっていくのかしら。

2番目にジーンとしたシーンは、サニーが弟のようにかわいがっていたビリーが交通事故死し、大人たちが「何でこんなところで箒を持ってたんだ」といい、「道を掃いていたんだよ!」とサニーが言い返すところ。人の役には立っていなくても、どんな命も尊くていとおしい。ビリーは自分にできる精一杯のことをし続けたんだなあ。

舞台になったテキサスの田舎町は石油の掘削で生計を立てている人たちがほとんどの。ほこりっぽくて風が強くて、活気があまりない街。住んでいる人々の心の有様を表しているようでもあった。

うまくまとまらないけれど、これは雰囲気を楽しむ映画かな、と思う。この映画がデビューのシビル・シェパードのかわいらしさにも注目です。

使われていた曲は、ほとんどが古いカントリーや50年代のバラード。映画の雰囲気にとても合っていたな。
エルヴィスが歌っていたので知っていた、大好きな曲、ハンク・スノウの'A Fool Such As I'もありました。ハンク・ウィリアムズの'Cold Cold Heart'が何度も流れました。

ハンク・スノウよりアップテンポで歌ったエルヴィスのA fool such as I  かっこいい~。


ハンク・ウィリアムズの'Cold Cold Heart'  哀愁を帯びた歌声~。

by oakpark | 2013-10-25 21:33 | 映画 | Comments(0)

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