若者文化~モッズ、ロッカー、スキンヘッド、パンク   

今回のカルチャーセンター映画講座のテーマは youth culture (若者文化)。 時代と共に変化する若者文化を音楽とファッションという切り口から考察しようということらしい。1回目に取り上げた映画が、『さらば青春の光』(Quandrophenia, 1979)、2回目が『This is England 』(2006), 3回目が『シド・アンド・ナンシー』(Sid and Nancy 1986) だった。 今回もいろいろと新しいことを学んだ。 おばちゃんの私が学ぶべきことなのかどうか、他にもっと学ぶべきことがあるでしょうと自分でつっこみをいれたいような気もするけれど〈学ぶ〉ということは楽しいし充実感があるし良いことだ、と思う。

『さらば青春の光』は、60年代のイギリスの、モッズ少年の成長記録のような映画だ。ロックバンドのザ・フーが製作に関わっていて、原題のQuandrophenia も、ザ・フーが1973年に出したアルバム「四重人格」からとられている。モッズという言葉は漠然と聞いたことはあって、何かファッションに関係のある言葉だろうなとは思っていたけれど、今回改めて調べてみた。モダニズムを短くした言葉であるモッズは、1950年代後半から60年代にかけてイギリスで流行したファッションのスタイル。細身に作ったジャケットにネクタイ、細身のパンツというモッズスタイルは、テディボーイと呼ばれるスタイルの発展したもの。テディボーイは1950年代に流行した、ちょっと不良っぽいティーンが好んだスタイル。そういえば、前にブログに書いた『17歳の肖像』という映画の中で、主人公の女の子がボーイフレンドを家に招待するときに、厳格な自分の両親にテディボーイと思われないように気をつけてねと彼に釘をさすシーンがあったな。テディボーイ=不良なのだな、とそのとき思った。テディボーイという呼び方はエドワード7世(1901~1910)の愛称のTeddy からきていて、その時代にエドワーディアン・ルックと呼ばれる、やはり細身のファッションが流行したそうだ。細身で長めのジャケットに細身のパンツ、厚底靴にリーゼントというスタイルが1950年代のテディ・ボーイスタイルで、それが進化したものがモッズ。 モッズアイテムとしては、細身の服以外にも、フレッド・ペリーのポロシャツ、丈の長いミリタリーパーカー(今若い女の子が着ているものをもっとぶかぶかにしたようなやつ)、たくさん装飾を施したスクーター(決してバイクではない)があげられる。とにかくおしゃれで、おしゃれのためなら絶食も辞さないくらいの洒落者がモッズ。聴く音楽も決まっていて、モダンジャズや、R&Bなど。 そして、モッズと対抗していたのがロッカー。 この映画では、ブライトンというイギリス南部のレジャータウンで実際に起こったモッズとロッカーの対決が最大の見せ場となっている。ロッカーというのは、言わずもがなで、1950年代にアメリカで発祥したロックンロールを好む若者のファッションを源流としていて、革ジャンにジーンズ、ポマードで固めたリーゼントヘアで大型バイクにまたがるスタイルだ。まさに、男性的というか、野蛮的というか、そんなかんじ。聴く音楽はもちろんハードロック。ロッカーはファッションに力を入れすぎる、なよっとしたモッズを軽蔑しているし、モッズは野卑でセンスのかけらもないロッカーを嫌っている。

1960年代のイギリスでそんな若者の対立があったとは知らなかったな。で、不思議に思ったのが、エルヴィスのこと。エルヴィスは「キング・オブ・ロックンロール」なんていわれているけれど、上に書いたような意味でのロッカーでは絶対にない。だって、ジーンズは大嫌いで着なかったし、革ジャンも1968年のテレビ・ショーのときと、映画の衣装として着たくらいだ。私服はほとんどいつもきっちりした上質のジャケットやパンツだった。それに悪さもしたけれど、体制や親に反発したことはなかったし、ましてや暴力的でもなかった。つまり、いわゆる不良ではなかったわけ。ロッカーというと不良っぽいというイメージがあるけれど、エルヴィスの場合、たまたまロックンロールを歌って成功し有名になったけれど、精神はロッカーじゃなかった。でも、たとえばロッカーに憧れる若者たちが、エルヴィスのように、とイメージしていたのならば、ちょっと不思議な気がする。それは、今回の「シド・アンド・ナンシー」のシド・ヴィシャスのことを調べたときも、同じように感じた。その人につくイメージというのは一度定着するとそれで固まっていくものなのだな。 このことは、またあとで書くとして、その前に『This is England』

サッチャー政権時代の1980年代を舞台にした『This is England』では、モッズから発展したスキンヘッドの少年が主人公。ジェフ先生によると、モッズから、よりファッションに重きを置いたグラムロック系とスキンヘッド系に枝分かれしていったそうな。 グラム・ロック系の代表格といえば、マーク・ボランとかデビッド・ボウイ。いわゆるビジュアル系ですね。お化粧したり羽をつけたりのあでやかなファッション。片やスキンヘッドのファッションは、ベン・シャーマンのチェックのシャツにサスペンダー、ジーンズの裾を巻き上げ、ドクター・マーチンの赤いブーツを見せる。そこまで決まっているらしい。それにしても「かっこよさ」って不思議。関係ない人から見るとち~っともかっこよくないことも関係者の間では必須アイテムになったりするのですから。私の目から見ると、スキンヘッドに一番似合うのは野球のユニフォームのような気がする。その後スキンヘッドは、政治的なことは関心のない穏健タイプと、移民を嫌悪する国粋主義のネオ・ナチ派へと分かれていくのです。だからかなあ、私の中では、スキンヘッド=過激な人、というイメージがある。


そして、『シド・アンド・ナンシー』。1970年代後半にイギリスに現れたパンク・ロックバンドのセックス・ピストルズのベーシストで、21歳の若さで麻薬過剰摂取でこの世を去ったシド・ヴィシャスとガールフレンドのナンシーの破滅の人生が描かれている。サッチャー政権以前のイギリスは全てが停滞し、若者たちはどん詰まりの閉塞感を感じていたそう。そこに突如現れた破壊的で攻撃的なバンドに行き場を失っていた若者たちが飛びつく。セックス・ピストルズの2代目ベーシストになったシド・ヴィシャスはベースもろくに弾けない音楽的には素人の若者だったけれど、恵まれたルックスに加えて、天性ともいえるようなハチャメチャなパフォーマンスが受けた。鋲のついた皮ジャン、破れたTシャツやジーンズといったファッションスタイルはパンクそのもので、後世《パンクの魂》とまで言われるようになった。パンクといえば、セックス・ピストルズであり、シド・ヴィシャスであるとまで認識されている。でも、本当はお母さんっ子で、まだまだ大人になり切れない気の弱いところもある若者だったそうだ。アメリカ人のグルーピー、ナンシーと出会ったことでさまざまな影響を受け、結果的には二人して破滅の人生を歩んでしまうことになるのも悲しい運命だったのか。シドは何か偉大なことを成し遂げたわけではないけれど、パンクというひとつの若者のスタイルの象徴のような存在になった。写真で見てもシドはハンサムでスタイルが良くてベースをもった姿がかっこよく決まっている。中身ではなくて形。そういうのもありなんだと思った。

で、話し戻ってエルヴィスも、エルヴィスといえばロックンロールといわれるが、実は本人はそれほどロックンロールが好きなわけではなかった、と思う。 でも、ロックといえばエルヴィスだ。実はロックをやった人はほかにもたくさんいるけれど、エルヴィスの名がロックのアイコンとして定着した。運があったのはもちろんのこと、エルヴィスのルックス、人間性、そして音楽的な実力、いろんなものが総合的に作用してそうなったのだと思う。音楽を若者に広げ、若者文化としてのロックを形作ったエルヴィスの功績はやはり大きい。私は音楽関係の映画を観るときは、どこかにエルヴィスが出てこないかと目を凝らして見るのだけれど、遭遇率はかなり高いです。今回も出てきましたよ。『さらば青春の光』では、モッズたちがたむろするレストランの壁にエルヴィスのポスターが貼られていたし、『シド・アンド・ナンシー』では、セックス・ピストルズのメンバーの友達の部屋の壁にエルヴィスのポスターがありました。映画『監獄ロック』のポスターでした。 さすがに『This is England』では出てこなかった。まあ、エルヴィスとスキンヘッドなんてかけ離れているものね。3つの映画を観て、戦後から今日まで、さまざまに枝分かれしながら脈々と続いている若者音楽の一番の元は50年代のロックンロールであり、その中心にエルヴィスがいたのだから、やはりすごいことだなあ、と感慨深く思った。

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by oakpark | 2011-02-19 00:18 | 映画

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