「ミシシッピ・バーニング」とアメリカ南部   

カルチャーセンター映画講座の今期のテーマは「黒人映画」です。オバマ大統領が登場したことを受けてこのテーマが選ばれました。第一回目の講座で取り上げられる映画「ミシシッピ・バーニング」を今日観たのですが、久しぶりに緊張感のある映画で最初から最後まで画面に釘付けでした。先ほど調べると126分という、結構長い映画なのに、ものすごく集中して観たためあっという間に感じました。以前からアメリカの南部に興味があったということもありますが、主演の3人の演技にひきつけられました。ジーン・ハックマンが名優だということも、やっとわかってたような気がします。
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主演の3人とは、ジーン・ハックマン、ウィリアム・デフォー、フランシス・マクドーマンド。フランシス・マクドーマンは、さして美人ではないし、どちらかというと「普通」の容姿の女性ですが、たくさん映画に出ていますね。でも、この映画を見ても、確かな演技力、力強い存在感、を感じることができます。ジーン・ハックマンとのシーンは特に見ごたえがありました。これは監督のアラン・パーカーの撮りかたのうまさもあるのでしょうか。アラン・パーカーといえば、やはり、カルチャーセンサーで取り上げられた「ザ・コミッツメント」や「アンジェラの灰」の監督でもあります。さてはジェフ先生この監督が好きなのかな。 あらすじはこちらのサイトなどを見ていただくことにして、この映画を観て、私が強く思ったことは、今から45年前の1964年にこんな状態だったアメリカで、よくもまあ、黒人の大統領が誕生したなあということでした。

加えて、当事のアメリカ南部の抱える人種差別の深さに改めて衝撃を受けました。
私がアメリカの南部に興味を持つようになったのは、やはり、エルヴィスがらみです。ミシシッピ州で生まれテネシー州のメンフィスで生涯のほとんどを過ごしたエルヴィスは根っからの南部人です。南部のプア・ホワイトの家に生まれ、20代以降急激に名声を得ましたが、決してロサンジェルスやニューヨークのような大都会には住もうとしませんでした。一体南部とはどんなところなのか、興味をそそられました。こんな本も読みました。
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特に左側の「アメリカ南部」は、アメリカの歴史を知るのにとても良い本でした。1964年までをざっとまとめてみるとこんなかんじです。

イギリスの貧しい白人の集団が、はじめてアメリカ大陸のヴァージニアの海岸に上陸したのは1607年。アフリカ人が奴隷としてはじめてヴァージニアに連れてこられたのが1619年。南部の中心産業がプランテーションで栽培するタバコから綿花に移行し、綿花栽培が広がるにつれて、チェロキー族などの原住民はオクラホマに追いやられてしまう。苦しい労働を強いられる黒人奴隷の反乱も何度か起きるが、そのたびに鎮圧され、そのたびに白人の黒人に対する見方を硬化させてしまう。奴隷たちの気晴らしは音楽だけで、黒人霊歌が生まれる。産業に対する見方の違いなどから北部の州と南部の州が対立するようになり、ついに南北戦争が勃発するのが1861年。北部が勝利し、1863年にリンカーン大統領が「奴隷解放宣言」を発表する。ところが1865年4月14日にリンカーンはワシントンの劇場で南部出身の俳優に撃たれ翌日死亡する。代わって大統領になったアンドリュー・ジョンソンは、リンカーンが約束していた土地の分配を反故にするなど、黒人に厳しい政策をとった。1866年、ネイサン・フォレストがKKK(クー・クラックス・クラン 白人至上主義団体)を設立する。1896年、歴史に逆行するように、「分離すれども平等 Separate but Equal)」という人種隔離政策(通称 ジム・クロウ法)が決議される。1955年、アラバマ州モンゴメリーでローザ・パークスのバスボイコット事件がおこり、これを機に、キング牧師を中心とした公民権運動が盛り上がっていく。公民権法を制定しようと準備していたケネディ大統領が暗殺され、あとを継いだリンドン・ジョンソン大統領が、大統領声明として公民権法を発表した。そして、1964年の夏に、「ミシシッピ・バーニング」の元になった三人の公民権運動家が失踪するという事件が起こる。そういえば、映画の中で、町の市長が「政府が大統領を守ることさえできないのに、この町の黒人を守ることなんてできない」というせりふがありました。こんな時代だったのですね。 その後1968年4月にはキング牧師が、6月には公民権法成立に力を注いだ、ロバート・ケネディ上院議員が暗殺されてしまうとは、なんという時代でしょう。

映画の中にも「この憎しみは一体どこから来るのだろうか」というせりふがありました。「黒人が憎いというより、貧しさがにくい」そんなせりふもありました。何事も暴力では解決できない。他人が自分と違っていても、違いを認め合った上で受け入れる度量の大きさがいつの時代も必要だと感じます。

数年前にメンフィスに旅行したとき、国立公民権運動博物館にも立ち寄りました。キング牧師が暗殺されたときに滞在していたモーテルがそのまま博物館になっていました。キング牧師の部屋は、テーブルの上の食器まですべて、当事のまま、そのままの状態で保存されています。しかも向かいの建物の狙撃に使われたであろう部屋も当事のまま保存それていて、展示物ともどもとても見ごたえがありました。展示物の中では、やはり、黒人がいじめられている写真、たとえば食堂で食べ物をかけられている写真などが印象に残っています。たしか、公民権法が制定されたあとのことで、現実では、なかなか受け入れられていなかったという説明がついていたと思います。写真ファイルが見つからなくて、アルバムから写真を撮りました。画質が悪いですがこんな感じのところ。
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このモーテルはメンフィスのダウンタウンのはずれの、少しうらぶれたところにあります(つまり治安が悪い)。聞くところによると、当時はキング牧師のような大物の牧師さんでさえ、黒人だという理由で町の中心部にあるホテルには泊まれなかったそうです。

そういえば、先週末、夫の友人のアメリカ人一家が日本に来ていて、一日だけ一緒に過ごしたのですが、ご主人と「歴史上の偉大な女性」についての話になり(なぜそうなったかは、長くなるので省きます)、私が「アメリカ人女性で一番偉大な人は?」と質問すると、彼は、It's a tough question. といいながら、「アメリア・イアハート」という私の知らん人、(興味のある方はこちら)をあげてくれたのですが、そばで聞いていた、ダコタ・ファニング似の美人の10歳の次女ちゃんが「ローザ・パークス!」って答えたのですよ。学校で習ったばかりだったのかな。へ~、と思いました。でも、彼女は歴史を変えた勇気のある人なのでしょうが、普通の黒人のおばさんでしょ、と思った私は認識が甘いのかな。10歳の次女ちゃん、賢そうな子だった。おない年のうちの次女に同じ質問をしても絶対わからんだろ。 まあ、私もわからないのですが、「一番偉大な日本人女性は?」なんて難しすぎる~。なんて質問をしてしまったんだ、わたしは。皆さんならどう答えますか?夫と私の間では「紫式部」が結構有力でした。世界に誇れる(のか?読んでないもんで)文学の著者ということで~。

支離滅裂な文章になりましたが、最後に、この映画を観ていて、印象的だったのが随所に流れる重厚なゴスペルです。オープニングはマヘリア・ジャクソンの「Take my Hand, Precious Lord」でした。マヘリア・ジャクソンという名前もエルヴィスファンになって知りました。エルヴィスが尊敬するゴスペルシンガーだから。
「Take my hand~」はなかったけれど、マヘリア・ジャクソンってこんな人。歌というより、魂の放出というかんじで、すごい。


一応、エルヴィスの「Take my Hand, Precious Lord」も。若いエルヴィスの声は、この曲を歌うにはまだまだひよっこに聞こえます。

by oakpark | 2009-04-16 01:38 | 映画

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